日本はどんな国ですか?

と外国人に問われたら、あなたは何と答えますか・・・

「日本は『まつり』の国です」

日本中のまつりをこの目で、耳で、肌で感じてきた体験から

今ならアタシはきっとこう答えるでしょう。

この国には三千とも五千とも、いや万を越す まつり が日本中の

どこかで今でも行われているのです。

あまりに多くて、実際の正確な数を確認した人はいないでしょう。

いや、「まつり」は頭で理解することではなく、参加するひとりひとりが

何かを感じるためのもの、数を数えることなど愚の骨頂と思えるから

誰も数えたりしないのですね。

まつり には多くの意味があるのです、

「祀り」、「祭り」、「奉り」、「政り」、

そしてその目的も

「五穀豊穣」、「疫病退散」、「商売繁盛」、

「家内安全」、「子孫繁栄」・・・

まつりは今を生きる人々が行うもので、長い歴史を持つ まつり でも

その形式を変容させてしまうことがあることは否めません。

まつりのその中心にあるのは 神なのであります。

勿論、その姿を見た者は誰もいないのです、でも、信じることで

神を感じることができるのです。

そのために先人たちは、供物を捧げ、仕来りを重んじ、厳格な神事を

通して神を敬ってきたのです。

筑波山から北へ続く山波みは昔から雨の通り道と信じられていたと

聴いたことがありました。

今でも北の境にある山の名は 雨引山、その山波には雨雲がかかり

小貝川の辺からその山を眺めていた時は確かに雨が降っていたのですが、

千年の杜に包まれた駒瀧神社をお訪ねすると、まるでそこだけ

ぽっかりと天が開き、青空さえ見えているではないですか。

真壁の夏祭りは江戸時代から町屋衆の願い出で始まった歴史を持つ

まつりで、かねてからその厳格な行事進行の儀式は厳しい仕来りで伝えられて

いることを多くの古老から聞いておりました。

祭典は若衆から世話役、中老、大老、幹部役員にいたるまで大勢の人々が

夫々の役を責任を持って行われているのです。

本殿では各町内から選ばれた世話人により話し合いが行われているあいだ、

境内に集まった正装に身を包んだ中老、大老の方々がじっと待つ、

真壁の祭事はすべて各町内の合議制で全てが決められていくのです、

それはこの国に資本主義が持ち込まれるはるか昔から平等を旨にする

仕来りが行われていたことに今更ながら感じ入るのであります。

神官様による神輿への御霊入れの儀式が整い祝詞が奏上されると、

それぞれの役員にお神酒が振舞われる。

「神輿渡御の御仮屋への無事をよろしくお願い申し上げます」

との神官様の挨拶の後、今年の年番町世話人による挨拶、

そして

「只今より時刻を合わせます、皆様3時59分に時刻を合わせてください」

これからの祭事は、この合わせた時刻に従ってあくまでも決められた

まつり時間としてすべてが集中されるのです。

全員での独特の手打ち式が終わると、4時きっかりに太鼓がドーンと鳴り、

「出発!」

高張り提灯が掲げられ、猿田彦の先導により

駒瀧明神の御霊の納められた神輿は各町内の若衆が白装束に身を固めて

曳かれます。

千年の杜を出発した神輿渡御の一団は町屋の御仮屋(神武遥拝社)に向けて

山道を下っていきます。やがて一団の姿が山の向こうへ消えると、

断続的に打ち鳴らす太鼓の音と下駄の足音が遠ざかっていくのでした。

もう一度駒瀧神社へ戻ると、先ほどまで人の姿に溢れていた境内は

静まり返っており、神のお出かけになられた後の本殿を

西の空から一条の光が本殿を浮き上がらせておりました。

「確かに神はおられる!」

と信じられた祭り旅の途中です。

真壁山尾 五所駒瀧神社にて

(2016年7月記す)