旅の途中

祭りの記憶 佐倉秋祭り

慶長15年(1610年)、下総国香取郡の小見川藩から、

老中となった土井利勝が三万二千石で佐倉城に入って今年で

四百年がすぎている。

その佐倉藩の総鎮守として祀ったのが、麻賀多大明神、

この聞きなれない麻賀多神は、印旛沼の辺りに千年も前から

祀られていた神さまなのでして、古事記には「和久産巣日神」、

日本書記には「稚産霊命」と記されているのです。

その麻賀多神社の例大祭は佐原大祭と祭日が重なるため

中々お訪ねすることが出来ませんでね、しかし今年は

佐倉藩が誕生して四百年目の記念の年、JR電車に

揺られながら久しぶりの佐倉詣りでございます。

佐倉駅を降りると

早速表町の山車が軽快なお囃子で迎えてくれました。

何しろ佐倉のお祭りのことは全く判りませんので、

早速、世話人さんにお尋ねする、

「この屋根付きの屋台はここではお神酒所と呼ぶんですよ」

「今年は千葉で一番大きいといわれる宮神輿が出ますから、

 神輿を担げるのは鏑木町の青年部だけなんです」

その鏑木町を訪ねると、これから神輿渡御が始まるところでして、

宮司さんの祝詞のあと、一斉に神輿に取り付いた白丁姿の若者達に

よって一気に担ぎ上げられた神輿は、神社に向かって進むのかと

思っておりましたら、後ろでお囃子を叩いている屋台に向かって

戻り始め、担ぎ棒をその屋台に掛けるのです、

なるほど、麻賀多大明神にお神酒を捧げる神事なのです、

先ほど教えてくださったお神酒所の由来とはこのことだったのですね。

城下町佐倉の中心は、大坂を登りつめた丘の上なのです、

二本棒の神輿は左右のバランスを微妙にとりながら坂道を

登っていきます。

神輿担ぎには息を合わせるために掛け声が大切なのです、

耳を澄ませて聞き入ると

「ちょうちんまつり むにゃむにゃむにゃ・・・」

としか聞こえないのです、

そうか、ちょうちんを沢山飾っているからか、

しかし、「むにゃむにゃむにゃ」というところが早口で

聞き取れないので途中、休憩の際にお尋ねすると

「ちょうちんまつりじゃありませんよ、

 あれは 『明神まつりさらば久しい』なんですよ」

神社に到着すると一時休止、その間に神社の並びの

蕎麦屋さんで腹こしらえ、

ひと息いれて新町通りへ出向くと、人・人・人、

何処からともなく聞こえてくる祭り囃子、

聞き入ると、明らかに葛西囃子の流れなのです、

保存会の皆さんの演奏が一段落した際にお尋ねすると、

佐倉は全て江戸振りなのだとか、多分、神田囃子や

深川囃子のように実に歯切れのよい祭り囃子なのですよ。

その中を各町内のお神酒所が佐倉囃子に合わせて神楽舞い、

祭りになると、遠の昔に消えてしまった町の名が浮かび

上がってくるのです。

表町、本町に栄町、仲町、上町に二番町、

袋町、間之町に肴町、鏑木町に並木町、

さらに、野狐台町に宮小路町、

各町内の名を染め抜いた提灯が揺れ、半纏姿の祭り人が

声をそろえて

『えっさの こらさの えっさっさ』

何時の間にか、アタシも大声で叫んでおりましたよ。

『えっさの こらさの えっさっさ』

お神酒所の舞台だけで神楽舞いを踊るのかと思っておりましたら、

その佐倉囃子に合わせて、曳き手のみんなが、お神酒所の前で

手踊りです、もしかしたら佐原囃子に合わせて踊る佐原祭りの影響

なのでしょうか、それにしても、

華やかで楽しい祭りです、夜も更けるに従ってますます数を増し続ける

人の群れ、あっちでもこっちでも

『えっさの こらさの えっさっさ』

『えっさの こらさの えっさっさ』

何時までも木魂のように響いていた祭り旅の途中です。

2010.10.08 下総佐倉藩 麻賀多神社祭礼にて

Categories: 日々

佐原の大祭 秋祭りの記憶 » « 川越祭り

2 Comments

  1. 偶然、このブログを見つけました。私は児玉平生と申します。実は私の母親の旧姓も志鶴といいます。祖父の名前は志鶴森光で、久留米の近くの田主丸の出身です。志鶴忠夫さんは毎日新聞の航空部創設に尽力された方ですが、私も毎日新聞に勤務しています。三十数年前に入社する際、本家筋の従兄弟である忠夫さんという人が、毎日新聞におられたという話を、祖父から聞いたことがあります。私の母親は現在88歳で、奥様とは、はとこの関係になるはずです。志鶴という珍しい姓と、毎日新聞が重なる関係から、コメントを書き込んでみました。

    • 旅人 散人

      2017年10月21日 — 12:27 AM

      児玉 平生様
      実は私ども夫婦は10/21で結婚50年になります。
      丁度、昔の話をしているところに児玉様から
      コメントをいただき、義父が志鶴の縁を伝えて
      くれたに違いないと思っております。
      たしかに、義父の故郷は田主丸です、今は田主丸
      の墓所に眠っており、毎年墓参りに訪ねております。
      東京では珍しい志鶴姓が田主丸の墓所には沢山
      その名が刻まれており、妻も筑後川の土手から
      ふるさとを見つめながら誇りを感じているようです。

      二年前に、久住高原に立てられた義父の記念碑を
      見に行った時の感動をブログに綴ったことが
      今回のご縁に繋がったことも大変うれしく思って
      おります。

      いつか、新聞社を訪ねる機会がありましたら
      児玉様にお目に掛かれるかもしれません、その日
      があることを楽しみにしております。

      感謝。

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