「あなたのふるさとはどちらですか」

会話の中でそんな質問が出た時、

あなたならどう応えますか、

多分、生まれた土地、育った土地

それとも新たに生きて行こうと決めた土地でしょうか

私にとってのふるさとは・・・

21世紀なんてはるか遠い時代だった昭和30年代、

卒業式の迫ったある日、担任のOO先生は黒板に

たった一文字『道』と書いてこう云ったのです。

「君たちの前には一本の道がある、それはここにいる50人のひとり
ひとりみんな異なる道なんだ、歩いていくと二股の分かれ道や、
四辻が現れたりする、その時、どちらに行くか判断を迫られる、
勇気をもって自分の決めた道を進んでみて欲しい、
もしかしたらその選んだ道は行き止まりかもしれないが、戻ってくる
時間を沢山持っているのが若者なのだからな」

そして、その決断する時は、自分の目で耳で身体で感じ取った経験を

信じて欲しい と・・・

その担任の先生は社会それも歴史が専門でした、50年もたって

振り返ってみれば、歴史にのめりこんでいったのはあの先生との

出会いがあったからだったと今になってわかるのです。

なぜ歴史にのめりこんだか、それは好奇心の対象としてこれ以上

興味の湧くことが他になかったからかもしれませんが、

その歴史の現場に立ってみることで、次々に新たな疑問や人の生き方が

見えたりすることだった気がします。

歴史好きが一度は執り付かれることが私にもおきました、

それは、自分が何処からどうやってこの世に生まれてきたか、

そう、自分の家系を追いかけてみたいという願いでした。

私の生まれたのも育ったのも大都会ですが、父の家系を

手繰っていくとそれは常陸野に行き着いたのです、

それも500年前まで、文書で探るのは、せいぜい三代か四代前

江戸時代の後半まではわかるのですが、それ以上は菩提寺の過去帳や

残されている墓石、その都度現場を訪ね歩き、10年の歳月をかけて

先祖へたどり着いたのです。

そして母方の家系も、

深川生まれの祭り好きだった母は、遡ればやはり常陸野に行き着いてしまいました。

どちらもその先祖が生きた土地を訪ねると共通したモノが見えてきました。

それこそが筑波山だったのです。

私の血の中には紛れも無く常陸人の血が流れている、

筑波山を眺めるたびに、なぜこんなに心が穏やかになれるのだろうか

その疑問はその時きれいに払拭されたのです。

「私のふるさとはまぎれもなく筑波山の見渡せる常陸野だ!」 とね。

何時の間にか21世紀も20年が過ぎようとしています。

あの卒業式の前に話してくださったOO先生の言葉が

今になってはっきりと蘇ってきます。

先生、今でも教えられたとおり、自分の目で、耳で、身体で

この国を巡り続けていますよ、巡っていたからこそ

沢山のことを感じ、知ることができました、後は、次の世代に

どう伝えていくか、先生が私たちに伝えたように・・・

今、ふるさとの山を河を見つめながら、

残された人生をどう生きるか想いをめぐらせております。