旅の記憶

「荒城の月」   作詞:土井晩翠  作曲:瀧廉太郎

 1.春高楼の花の宴  巡る盃影さして

  千代の松が枝分け出でし 昔の光今いづこ

 2.秋陣営の霜の色  鳴きゆく雁の数見せて

  植うる剣に照り沿ひし  昔の光今いづこ

 3.今荒城の夜半の月  変はらぬ光誰がためぞ
 
  垣に残るはただ葛  松に歌ふはただ嵐

 4.天上影は変はらねど  栄枯は移る世の姿

   映さむとてか今も尚  ああ荒城の夜半の月

まだ紅顔の少年時代、耳で覚えたこの詩を声高らかに

唄っておりましてね、詩の意味も判らずに。

土井晩翠が詞を構想したとされる宮城県仙台市の青葉城址を

訪ねた時、どうもこの歌のイメージとは違う気がしておりましてね、

ならば作曲した瀧廉太郎の悲しみを誘う曲作りがこの曲のイメージを

作り上げているのかもしれないと調べてみると、

明治12年東京市芝区南佐久間町(現在の西新橋)に生まれた廉太郎は

地方官であった父の移転先である神奈川県や富山県富山市、大分県竹田市

等を移り住みわずか23年の生涯を父の故郷である大分県府内町で終えていた。

人生の幼少期と最後を過ごした土地は大分県であった廉太郎は晩年といっても

まだ21歳であったが、竹田市の岡城址を訪ねていたという、

ならばその岡城址が廉太郎の作曲に影響を与えていたのかもしれないと

想像し、久住高原から山を下って竹田の岡城址を訪ねてみました。

秋の連休も終わり静かな平日の午後、城址への道を辿ってみると

残された石垣に山から吹き下ろす風だけが感じられる静寂の城跡

でして、

標高325メートルの天神山に築かれた岡城は、今は石垣だけを残すだけ

大手門跡から城内に足を踏み入れると

  天上影は変はらねど  栄枯は移る世の姿

   映さむとてか今も尚  ああ荒城の夜半の月

そのものが目の前に広がっているではないですか、

眼下には大野川の流れが堀の役目をしていたことが偲ばれる、

風に乗って「荒城の月」のメロディが聞こえてくる、

どうやら眼下の土産物屋が流しているらしいのだが、

この静寂の中で聞く曲はまさにこの城址がぴったりと

当てはまる気がいたしました。

帰りにその土産物屋に立ち寄ると、店番の婆様が茶を出して

くれた、

「この前の満月の宵は見たこともないような大きな月があの石垣の

上に登ってきたんだ」

長年店番をしていたがあんな月を見たのは初めてだと話してくれた。

もしかしたら廉太郎もあの石垣の上に上がった月を見ていたのかもしれない。

「今はまだ紅葉には早いけれど、春の桜が咲くとそりゃきれいなもんだ」

と付け加えてくれた。

まさに 

  春高楼の花の宴 なのだろうが、此の歌は今日のような静かな秋の日に

聞こえてくる方がふさわしい気がいたします。

(2015.10.15 豊後竹田 岡城址にて)