東京は連日の猛暑、コンクリートの照り返しの上を歩いているだけで

爺の焼き豚が出来上がりそうですよ。

「だから、こういう日は冷房の利いた部屋で

じっとしているにかぎるのさ」

なんてしたり顔で注意してくれる友の忠告をまともに受けていたら

旅なんか出来ませんよ。

それに、暑いっていっちゃ冷房、寒いっていっちゃ暖房で一年中同じ温度の

中で生活しているとね、人間の自然への適用性が失われていくのですよ。

日本人は、汗をかかない生活を続けてきたために、汗腺の働きが半分くらいに

減ってるてことですよ。

汗腺が働かなくなると汗をかいて体温を調整する機能が無くなって

熱中症に簡単にかかってしまうのだとか、

便利さと引き換えに、寿命を減らし続けてきたということじゃないですかね、

まあ、アタシ等世代は冷房なんてない時代に育って、夏の暑さしのぎといったら

行水に冷やしたサイダーくらいなものでしたから、汗はかき放題、

おかげで体温の調整が、爺になっても機能してるというわけですよ。

我が家じゃ今でもせいぜい扇風機くらいが丁度いい設備で、

それで我慢できなくなったら、自然のクーラーのある山の中へ逃げ込むと

という方法をいまだに実行してるわけですよ。

最近のニュースは気温が35度を超えたといっては、やれ館林が一番だ、

多治見が40度を超えたと、まるで面白がってランキングまで発表する始末、

そんなこと教えられたって暑さが減るわけじゃないでしょうよ。

それに気象庁の発表する気温と実際の日なたの気温とは4~5度も差が

あるのですよ。

浅草の浅草寺の境内で38度が三日続いているじゃないですかね、

体温より暑いという土地に誰がしたんですかね、

みんなでクーラーガンガンかけて、あの屋外機から吐き出される熱風が

町の温度を上げていることくらい、すぐにわかりそうなものじゃないですかね、

町の中を散歩なんかしようものなら、天からは太陽さんがぎらぎら、

町の中では、クーラーの屋外機からは熱風が襲い掛かるんですよ、

居られるわきゃないですよ、

で、逃げ出してきたのが、海抜936mの東京から一番近い高原というわけですよ。

避暑が目的ですから、富士山が見えないからといってがっかりすることは

ありませんでしょ、だって、気温は26度ですよ、もう東京に比べたら天国みたいな

ところじゃありませんか、それに夏休み前ということで、世界遺産に登録されたばかりの

有名観光地も人がまばら、こうなると好奇心がふつふつと湧き上がるわけですよ、

のんびり散歩しながらそこらを散策、畑仕事のおやじさんに、

「このあたりに昔からある神社やお寺さんはありますかね」

「あんたどこから来たの?」

「東京の浅草ですよ」

「ひとりでかい」

「そう、ひとりで」

「へーっ、物好きなな人だね、この先に、古い神社があるよ、何でも運慶が

彫ったという仁王像があるから見ていくといい」

えっ!、神社に仁王様ですか、ふつうは仁王様はお寺さんにあるはずですがね、

お礼を言って、さっそくその神社へ。

「忍草富士浅間神社」

なんて読むのですかね、

散歩に来ていた老人に尋ねると、

「しぼくさふじせんげんじんじゃっていうのだよ」

なんでも、この辺りは昔は忍草村で、明治時代の初め頃に、忍草村ととなりの

内野村が合併してそれぞれの村の一文字を合わせて忍野村になったのだとか、

忍野村ってそんなに古い地名じゃなかったのですね、今じゃ「忍野八海」なんて呼ばれて

一大観光地ですもの、昔からの地名だと思っておりましたよ。

さっそく、山門をくぐると、確かに仁王様がおられますよ、

きっと、廃仏毀釈のあと、、どこかのお寺さんにあった仁王様を神社に移してきたのかも

しれませんね、ところで、どこからどう見ても、運慶作とは・・・

境内はイチイの大樹が鬱蒼としてかなりの歴史を感じますね。

本殿に御参りして、そこの飾られていた写真にびっくり、

こちらの御祭神は確か木花咲耶姫命ですよね、

その写真には、その木花咲耶姫命の神像が木造女神坐像として掲げられているのです、

日本の神様というのは、ほとんど姿を現さないものとして信仰されてきておりますので

神像がつくられることは少ないのですが、多分、仏教の影響から神像が作られたのでしょうか、

他の木造男神坐像二体は 木花咲耶姫命のご主人ならば日高日子番能邇々藝能命(伝鷹飼)、そして

もい一体は大山祇命(伝犬飼)すなわち木花咲耶姫命の父ということになるらしいのです。

三体の神像には正和四年(1315年)丹後の仏師石見坊静存の銘が刻されているといいます。

木花咲耶姫命といえば、神話の中でも絶世の美女ということになっておりますが、

どうみても、地方の名手の娘さんくらいにしか見えませんですよ、

それに邇々藝能命様はなんだか落語家さんみたいな柔和な表情、父神の大山祇命様は

まさに地方の大名主風ですよ。

もしかしたら、この地を訪ねてきた仏師が、当時のこの地の名主やその娘さんをモデルに

作り上げたものではないですかね、

それぞれの説明文には、

木造女神坐像(木花咲耶姫命)、

木造男神坐像(伝鷹飼)、

木造男神坐像(伝犬飼)、

とだけ記されているのです。

神話の中の神様は、やはり想像の世界にとどめておいたほうがよさそうですね、

絶世の美女 木花咲耶姫命は桜の精だと思っていた夢が破れてしまったような

気分に陥ってしまいました。

歴史と云うのは、誰も園時代へ戻れませんので、確かなことは判りません、

判らないものは、そのままにしておいてほしいものですね。

すっかり、現実に戻されて境内を後にすると、もう夕暮れがそこまで迫って

おりますよ。

山の湖のほとりに佇むと、さらに気温は24度、

大自然の涼風を身体中に受けながら、

これぞ夏の天国だと、大空を見上げていた避暑旅の途中でございます。