生ききる覚悟

『死』とはこんなにも身近にあることを

考えないように生きている私、そしてあなた、

人間は、顔も、姿も、考えも、そして

生まれ方も、生きる立場が違っていても、

必ず土に帰るか、海に消えていくらしい。

平等とはそういうこと、早いか遅いかの違いくらいの

差だけなのだね。

(2010.10.16 江名漁港)

「そろそろ梅も終わり、いよいよ桜だよ」

そう呟いていたはずの貴方は、今は海の彼方ですか、

まだ信じられません、いや、きっと貴方の方が信じられない

でしょう、

もう一度だけでいい、心と心で語り合いたい

「人間は孤独で寂しがりが当たり前」

それが口癖だった貴方は、本当ににひとりで行ってしまったのですか、

(2010.10.16 塩屋岬)

いくら人生は戻ることが出来ないからといって、

自ら実践してしまうなんて・・・

明日を信じて、今日と言う日を終わらせたはずなのに、

明日はないことを強烈に教えていったのかい、

もう何十回目の横揺れにも、動じなくなったよ、

覚悟さえ決まれば、迷うことなどないからね。

行くときは行くだけさ、

今日と言う日を生ききってね。

平成23年3月12日 記す

(2011.10.14 五浦)

人の魂を鎮めること鎮魂という、

鎮魂は、死者の魂を慰めることばかりではない、

生者の魂も時には不安定になるもの、

まして、一大事の中に身を投げ出されたとき、

放っておくと身体から遊離してしまうかもしれない、

(2010.10.15 小名浜)

放心している人とは、きっと魂が遊離しているのですよ、

「大丈夫ですからね」

と声をかけ、身体を揺すってみると

その人の魂に活力が沸き立ち我に返るという話を

聞いたことがありました。

阿鼻叫喚の中で、もし放心している人に出会ったら、

大きな声を掛け、身体を揺すってみることも必要かもしれない。

(2010.10.16 豊間漁港)

日に日にその壮絶な災害の状況が明らかになるたびに、

胸が締め付けられてしまうのです。

この国はぐるりを海に囲まれたそれはそれは美しい国なのです。

その海辺を訪ねる旅を続けていたのはあの日のまだほんの

半年前のことでした、

港町を訪ねては、漁師さんに話を聞き、みなとの食堂では

かあちゃんの作ってくれた食事に舌鼓を打ち、

出会う人の温もりを感じながら、

「日本とは何と麗しい国なのだろうか」

と何度も感じた旅だったのです。

(2010.10.16 いわき)

小名浜、中之作漁港、江名漁港、合磯海岸、

豊間漁港、塩屋岬、薄磯海岸・・・

旅に出なければ、その地名さえ知らなかった小さな漁港、

そこには、現代ではもうほとんど出会うことのなくなった

人をもてなす心を持つ人たちの温かさが溢れた出会いばかりでした。

旅は一期一会の出会いではあるけれど、

出会ったひとはみな、口を揃えたようにこう言うのです。

「また来ることがあったら寄ってきなよ」

(2012.10.14 南三陸の夜明け)

あの小さな港も例外なしに今回の津波は襲い掛かったに違いない、

あの温かな人柄の老人は、きっと、永年の体験を通して培った危険を

感じ取り逃げおおせたと信じている。

食堂のおかあさん逃げ切れただろうか、

平成23年(2011年)3月13日に記す。

(2014.10.18 気仙沼)

世間はあれから五年と区切りのように言うけれど、

五年に意味を持たせることはないのです、

あれから何度かお訪ねした港・湊・みなと・・・

「あの時はすごかったよ!!」

なんて気楽に話ができるにはまだまだ早いけれど、

決して忘れることだけはしない、

これからも何度も港を訪ねる旅を続けていこう。

(2014.10.18 気仙沼)