人は頭の中で「自分は正しい」と思い込むとそれが善悪の基準に

なってしまうらしい。

その自分の基準に合わないものはすべて受け付けなくなるのです、

そのまま黙っていれば、変人扱いで済むのかもしれませんが、

その自分の基準を友人、知人、はては他人にまで当てはめると

不平不満、愚痴、悪口、文句がこの世に溢れるかえる。

個人を大切にする余り、責任は他人にかぶせ、自分はいつも

自分で作った基準の中で外ばかり見つめている。

よくもまあこんなに文句が出るものだ とあきれるばかりの

醜態がこのところTVの中から見え隠れ、

劇場型政治とかなんとか言ったところで、人間の醜さが晒されて

いることには変わらないはずなのに、誰も他人事と思っている。

政治家が悪い、官僚が悪いと声高に叫ぶ国民、でも

選んだのは何処のどなたなんですかね。

「その国の国民の水準に見合った政治家しか生まれない」というのは

確か民主主義先進国の諺だったと思いますがね。

TVを見る時は音を絞って表情をじっと見ていると、

案外、本性が見えてくるかもしれませんよ。

『他は是 吾にあらず』と見抜いたのはあの道元禅師、

不満をいう前に自分を振り返りなさいということなのですよ。

朝からブツブツ文句を言っているうちに気分が悪くなってまいりました。

外は雨、やれやれといつもの場所に来てみれば

濡れた草むらに一輪の花、

傘もささずに濡れたまま、雨風にそよと揺れるだけ。

誰に頼まれたわけでもないのに人知れずそっと咲く花、

「ああ、なんと美しいのだろう」

思わず声に出していた。

こんな簡単な事にさえ気づかない日々の生活を振り返っている。

花を眺めてしみじみと感激を覚えないのは

考えることばかりで心を無に出来ないからかもしれない、

桜には無常を感じても、野の花にだっていつか散るからこそ

美しいことに気づかなかったのですよ。

自分も何時か死ぬ ことをしっかりと自覚したところから

花の命が見え、自分の命が見えてくる気がしています。

じっと雨に咲く花だけを見つめています。

そうか、行き詰まったら考えることを止めればいいのですよ。

何も考えずに、じっと花を見つめてみる、

案外、簡単なことだと気づいた雨の日のこと。