日本の祭りは、神輿や豪華な山車が人気を呼び、

その神輿振りや山車曳きに祭り人たちは一喜一憂するのです、

その一方で、神事としての芸能である神楽があります。

神楽とは神をまつる音楽や舞いのことで、

その昔は、神遊びといって、神様に喜んでいただくために

人が面をつけて舞い踊ったのでしょう。

江戸の祭りには、江戸里神楽が奉納されることが多いのです。

里神楽は大太鼓、小太鼓、大拍子、笛の拍子方の音曲に、

舞い人が面をつけ、舞い踊る無言劇なんです。

(手力男命)

なにしろ神様に喜んでいただくための演舞ですので、

見ている人々には、筋書きも、登場する役柄もさっぱりわかりません、

大抵は物珍しさに人は集まってきますが、単調な音曲と意味の判らない

舞いの繰り返しに10分もしないうちに観客は居なくなってしまうでしょう。

ところが、この神楽が古事記・日本書紀に題材を採っていることが判ると

登場してくる演者が何者なのかが理解できるのです。

そうなると、その舞い人の一挙手一投足が見えてくるでしょう、

辛抱強く見続けているうちに、いつしかこの里神楽に惹きこまれて

しまうのです。

(細女命)

下谷、上野、浅草、神田、湯島、向島、深川、佃島、根津、

一宮、府中・・・

こうして祭りの中で演じられる里神楽を見続けているうちに、

この江戸神楽にはその源流となる神楽があることを知るでしょう。

武蔵国鷲宮神社に伝わる「鷲宮土師一流催馬楽神楽」は鎌倉時代の

吾妻鏡に書かれるほどの昔からこの地に伝わっていた神楽舞いで、

関東の里神楽の源流といわれているのです。

そのことを知って以来、この鷲宮神社を訪ねる旅が始まったという

わけです。

(大宮女命(巫女))

かつては36座あったという催馬楽神楽は現在は12座に集約されて

現在も正月の歳旦祭から、二月の年越祭、四月春季祭、七月の夏越祭

十月の秋季祭、12月の大酉祭と年六回奉納されているのです。

どうしてもこの12座をすべてこの目で見てみたいと機会を見つけては

通い続けているのです。

12座のうちまだ半分の6座ほどしか見ることができませんが、

なんとか生きているうちには12座を見られるかもしれません、

こうして今年も十月の秋季祭にお訪ねいたしました。

第五座 「磐戸照開諸神大喜之段」(磐戸)

どうやら天の磐戸の神話を題材にした神楽のようです。

巫女二人と翁の三人による舞いで、素顔の細女命(うずめのみこと)は

五十鈴に青幣と麻をつけた榊と鈴を持ち、もう一人の大宮女命(巫女)は

鏡と白幣をつけた榊と鈴を手に舞います。

翁の面を付けた手力男命は、榊の枝をつけた白大幣に鈴を手に登場して

まいります。

須佐之男命の乱暴に怒った天照大神は天の磐戸に隠れてしまうと世の中は

暗闇になってしまいます。

磐戸の前に集まられた神々は、知恵者である思兼神の提案を受け、

常世の鶏を集めて長鳴きを競わせ、次々に八尺の鏡、五百もの勾玉で

玉の緒の飾りを作らせ、天の香具山から五百本以上の賢木(さかき)

を根こそぎ抜いて上の枝には玉の緒の飾りを、中の枝には八尺の鏡を、

そして下の枝に白と青の御幣を垂らします。

天児屋命が祝詞を奉り、手力男命が岩屋戸のわきに隠れてたちました。

そして細女命が神懸りの踊りを舞うとこれを見ていた神々が大笑いを

するのです。

古事記ではこの細女命が神懸りしてだいぶエロチックな踊りになるのですが

さすがに少女の細女命ですから美しい舞いで表現しているようですね。

笑い声に何事がおきているのかと磐戸から身を乗り出した天照大神の手を

手力男命が表にお連れすると世の中は再び明るさを取り戻すという神楽

なのです。

こうして物語が仔細に判ると、登場する細女命、大宮女命、そして

手力男命がそれぞれ手にする持ち物の意味が理解できるでしょう。

最後に催馬楽が詠われます、

 千早ぶる 神の御室に ひさしめの

       万代かけて 祝う榊葉