毎年行われる祭礼の中で、欠かしたことのない祭りが

ありましてね、佐原、鹿沼、川越の三箇所だけは何をおいても

必ずはせ参じるのでございますよ。

作日の佐原囃子にすっかり魅せられて戻ってから休む暇なく

本日は鹿沼行き、天気予報は雨、

でもね、気象庁の発表はあくまでも予報なので、行ってみなければ

判らないのもまた天候でございます。

あの今宮神社での屋台行事だけはなんとか雨に遠慮して

もらいたいと念じながら浅草から東武特急でやってまいりました

鹿沼の秋祭りでございます。

(境内には氏子町内の屋台が勢ぞろい)

昨年は鹿沼今宮神社からの繰り出しを目の当たりにして

一斉に打ち鳴らす鹿沼屋台囃子にすっかり魅了されて

しまいましてね、確か二十七台の屋台での打ち合いを

ひとつひとつ聴いて歩き其の中でひときわ切れのいい

お囃子を聞かせていただいた囃子連に出会いまして、

「なんとか今年もあのお囃子を聴いてみたい」

と駅を降りて空を見上げれば曇り空なれど雨はなし、

やはり天気予報が影響したのか人出はかなり少ないですね。

(屋台の彫刻には目を見張るばかりです)

帰りの足を確保しておかないと と新鹿沼駅で特急券を求めると

いつもならほとんどが満席なのですが、最終の浅草行きに簡単に

席を確保、これで心配なく祭りに没頭できますと歩き出せば

まばらな人出に露天商はアテが外れたと半分諦め顔、

やっぱり、祭りは晴れた日に限りますな。

毎年伺っていると祭りの進行もわかりかけておりますので

この時刻ならまずは今宮神社へと急ぎます。

江戸の昔から栄えた鹿沼の町は今宮神社を中心に34ケ町の氏子町が

支えていたといいます。その繁栄振りはこの煌びやかな彫刻屋台を

見ればどれほど栄えていたかは誰でも想像できるでしょう。

そしてこれだけ大きな祭りをきちんと実行するには確かな祭り組織が

無ければ不可能なのです。

屋台行事は秋祭りの最大の見せ所なんです、

(一番町末廣町屋台)

氏子34箇町を上組10町会、下組9町会、田町下組7町会、田町上組8町会

の四つに分け、持ち回りでその年の当番町が決められ、

祭りの進行をその当番町が仕切るという祭り組織がきちんとあるわけでして

この祭り組織無しにはこれだけ盛大な祭りを三百年も続けることなど

出来ないでしょうね。

(末廣町の手児舞)

私が訪ねる祭りには、この祭り組織がしっかりと伝承され、段取り通りの

祭り進行が成り立っている町ばかりを訪ね歩いているのです。

今年の当番町は田町下組の末広町、九月初めの仮屋台奉納行事で宮司から

手渡された例祭の屋台繰り込み順が決められているらしいのです。

今年は24町の屋台が今宮神社境内に勢ぞろいしています。

一度に同じ場所でこれだけの屋台を見るにはこの境内に来なければ

見られないのでして、その見事な屋台彫刻をひとつひとつ見るだけでも

来た甲斐があろうというものですよ。

いよいよ提灯に灯りが点されると、全ての屋台から一斉に屋台囃子が

唸りを上げるのです。

なにしろ屋台が並びあっているのですから、どこの屋台も競い合う

気持ちが現れるわけでして、もう滝つぼの真中に立っているような

音の爆流が降りかかってくるのです。

しばらく続いていた「江戸ばか」「昇殿」「神田丸」「鎌倉」「四丁目」の

屋台囃子がピタリと止むと、いよいよ屋台行事の始まりです。

各町内の氏子総代が拝殿前で御祓いを受けると、参道の両脇に整列して

一番町の屋台繰り出しを見守ります。

一番町の屋台が鳥居を潜り抜けると、残りの町内の世話人が集まり、

五穀豊穣、祭りの安全を祈願して手打ちで締めが行われると、いよいよ

二番町から順次繰り出しが始まります。

屋台が引き出されると、方向転換のため屋台の下に手回しのキリン(ジャッキ)

で車輪を浮き上がらせてゆっくりとまわすのです。

秩父夜祭でもこのキリン廻しをみておりますが、現代の合理性ばかりを

追求する文化とはかけ離れた日本の祭り文化を感じるのですね。

それでもこれだけ多くの屋台が集まってくると、中にはキリン廻しではなく、

あの佐原で行っているテコ回し(すべて人力)のやり方を残している町内も

あって、なかなか見ごたえがありますよ。

すべての屋台が境内から繰り出されて町中に出て行くと、今度は町の四辻で

「ぶっつけ」と呼ばれるお囃子の叩き合いが始まるのです。

昨年はこの「ぶっつけ」をつぶさに見させていただきましたので、今年は

空きっ腹を納める方を優先させていただきます。

先ほど見定めておいた店で、祭りの食事はコレと決めておりますので、

「おばちゃん、カツ丼おしんこ附きね」

祭り旅は楽しいですな。

2020年はすべての祭りが消えてしまった、でも必ず

蘇るでしょう、三百年も続いている 祭りが無くなる

筈はないのです、かつての危機に何度も復活してきたのですから・・・。

(2016年10月の祭りを思い出しながら)