私たちが生きる人間社会には始りがあるものは

必ず終わりがあるのです。

もしかしたら、その人間社会の生き方を、

まるでドラマに仕立てたように見せてくれるのが

「まつり」なのかもしれません。

一年間待って、入念な用意をし、話し合いで決めた祭の進行も

始まってしまうと、あっけないほどの速さで終焉に近づくのですね。

夫々の部所で、自分に与えられた役目を精一杯こなした人々の

表情が、最後にもう一度引き締まる瞬間をむかえるのです。

それが「神輿還御」。

祭礼で祀られるのは「荒ぶる神」と呼ばれる恐るべき力を持つ神なのです。

ひとたび機嫌を損ねると、天変地異さえ起こりかねないのです。

歌舞音曲、お神楽で楽しんでいただき喜んでいただいた神様を、いよいよ

千年の杜へ御送りするための最後の儀式が始まります。

御仮殿に居られた神様を再び神輿にお乗せし、

いよいよ神輿還御が始まりました。

神輿が各町内を廻り始めると、各町内の山車の上では神楽舞が直一層

のお囃子に合わせて演じられます。それは少しでも長く神様に町内に

留まっていただき、最後までご機嫌な気持ちを持ち続けていただきたい

という氏子達の願いなのですね。

時には神輿の還る道をふさぎ、少しでも長く留まっていただくために

時には神輿を押し返す、三社祭の宮入と全く同じ気持ちなのですね。

仲町のお休み所になっている川島さんの店蔵で、宮司様、氏子総代様と

一緒にお神餞をいただく。

それは神様の食事をしたそのものを、いただくことで、「直会」と呼ばれる、

自分達が喜びを感じることは、神霊にとっても嬉しいに違いない、と先人たちは

考えたのです、神と言うこの上なく尊い客を持てなすことがまつりのもうひとつの

教えなのですね。

この真壁の町が、雛祭りを始めたとき、訪れる客を心から

持てなすこころに感じ入ったのは多分私だけではないでしょう、

そのもてなすこころが、この町の人々に自然に備わっていたのは、

多分、毎年、繰り返すまつりの中で身につけていたに違いないと

改めて感じいるのでした。

「お帰りになられるのは・・・」

「さあ、多分、夜中かもしれませんね」

古老の返事に、何度も頷いておりました。

とうとう四日間通い詰めてしまった真壁の町で

出会ったのは、顔見知りの人々だけではなく、

その姿の隣に影のように密やかに佇んでいた先人たちの

嬉しそうな笑顔だったような気がいたします。

ふと見上げた夜空に下弦の月、

遠くでお囃子が微かに聞こえる祭旅の途中です。

(2016年7月 真壁の祇園祭は曜日ではなく
 毎年7月25.26.27.28日に決まっているのです)