昨日、藤原秀郷を祀る唐澤山を訪ねたおり、佐野市内にやはり秀郷公が

将門降伏の誓願により佐野の春日岡 (現在の城山公園)の地に寺を建てた

ことに始まるという寺があると教えられ早速訪ねてみる。

「春日岡山 転法輪院 惣宗官寺」

そこは暮れになると関東の三大師とTVで盛んにCMを流す 佐野厄除大師 

でありました。

厄よけ元三慈恵大師を祀り、厄除け、身体安全に霊験あらたかとあちこちに

うたわれておりますな。

山門を入るといきなりの出迎えは黄金の梵鐘、

元三慈恵大師一千年遠忌を記念して建立されたとのこと、

境内には、水子地蔵を祀る地蔵堂、さらに威容を誇る本堂

などその維持だけでも大変さが忍ばれますな。

なぜTVのコマーシャルまで打つのかが、なるほどよく理解できますよ。

何でも正月初詣に百万人の参拝客が殺到すのだとか、

正月準備に忙しい中、まばらな暮れの参拝客に混じって厄除けを

お願いしようか

と貼紙を読むと

男の本厄は25歳、42歳、61歳でその前後を前厄、後厄、

女は本厄は19歳、33歳、37歳でその前後を前厄、後厄とある

すると古希を終えたアタシらにはもう厄年はないのですかね。

そういえば、平凡社『大辞典』「厄年」の項によれば、

19は重苦、25は5×5=25、後後二重後ととりなして死後のこととし、

33は3・3と重なるから散々ととりなし、42は4・2と続くから死(しに)

にとりなして忌むとありますな。

なにやらお呪いじみておりませんかね。

あまり疑いをかけますと厄よりバチが当りそうで思わず手を

合わせたのでございます。

なにしろ初めての厄除大師様ですから効き目のほどはわかりませんが、

まあ、帰ったら浅草の観音様にもお願いしてこようと境内をぐるりと

散策すると墓地の入り口に大きな記念碑、

「嗚呼 慈侠 田中翁之墓」

佐野市小中町生まれの田中正造翁は全生涯を正義の旗手として

人権の尊重と自然保護のために捧げた清廉の人でありますよ。

当寺院で本葬が行われたという。

なんだか、田中正造翁の縁があるだけで、あの黄金の梵鐘も

壮大な本堂も少しだけ印象が変わる気がしておりましたよ。

田中正造翁は明治34年12月10日第16議会開院式から帰る途中の明治天皇に

足尾鉱山被害による渡良瀬沿岸農民の窮状を直訴したのであります、

その当時盛岡中学4生だった石川啄木はその時の感動を残している

 夕川に葦は枯れたり

  血にまとう民の叫びの

   など悲しきや     石川啄木

千年前の藤原秀郷に惹かれて訪ねた佐野厄除大師で、

元三慈恵大師にお目にかかり、さらに田中正造翁、そして

さらに石川啄木へと繋がるとは 旅とは出会いの連続でありますな、

暮れなずむ佐野の町でひとり静かに名物のラーメンをすする。