かつて舟運で栄えた町があった、私の父の故郷境も利根川舟運で

繁栄した町、その境からも江戸に向かって大量の物資が運ばれた、

それは利根川と別れた江戸川が大動脈となって江戸に直結して

いたのです。

境を出た舟は、関宿、西宝珠花、金杉、野田、流山、松戸、行徳と

河岸を巡って江戸へ向かうのです。

江戸川舟運でことのほか栄えたのが西宝珠花河岸でした、

川を挟んで対岸が東宝珠花河岸、明治時代には舟を並べて

橋を作った船橋が両岸の集落を繋いでいたといいます。

特に西宝珠花河岸は年貢米や農産物、肥料、生活品そして旅人乗せて

江戸へと行き来する舟が引きも切らさなかったといいます。

物資が集まれば人が集まり、人が集まれば商いが繁盛するのは

昔も今も変わらぬ真実、料亭が並び銀行まで出来たという。

しかしそれだけ繁栄した町も時代という急速な変化についていく

ことが出来ずに、昔の繁栄が嘘のように時代から取り残されていく。

そんな町に惹きつけられて旅を続けているのは、いつかあの繁栄を

取り戻せるかもしれない希望と夢を感じていたいからなのかもしれませんね。

「そういえば今日は『夏越の大祓』の日だったな」

いつものように河岸の町を訪ね、神社へ立ち寄った、

宝珠花神社の境内はなにやらほのぼのした

雰囲気に包まれているのです。

「何が始まるのですか」

「初山登山ですよ」

「するとこちらは浅間神社なのですか」

御祭神は木花開耶姫命、菅原道真公、経津主命、素戔嗚尊(すさのおのみこと)

の四柱を祀っており、さらに明治時代に浅間社、天神社、香取社、八雲社を合祀

し、昭和28年江戸川改修の際に 現在地に移転したという。

昔からの神事を守っておられる会長さんが説明してくださった。

「この地域では生まれた子供が無事に育つように富士山信仰に

 あやかって初山神事を続けているのですよ」

境内には

この西宝珠花の人々が富士登山121回を記念して奉納した

『三國第一山』の扁額のかかる鳥居越しに見事な富士塚が

聳え立っている、

『三國第一山』とは富士山を意味するのだそうで、江戸時代に

富士山登山を121回も続けていた人々の熱意が昭和になっても

こんなに立派な富士塚を残したのですね。

高さは今まで数々訪ねた富士塚の中でもかなり立派なもので

それだけこの西宝珠花の人々の富士信仰が盛んであったことが

忍ばれます。

若い母親の胸に抱かれた赤子は神社でお祓いを受け、

真っ直ぐ育つようにと葱(ねぎ)と

内輪もめのないようにと団扇をいただき

記念写真を写すと、早速、生まれて初めての富士登山です。

額に呪いの朱印を押された赤子は若い父親に抱かれて

一歩、一歩頂上目指して登っていきます。

なんて素晴らしい光景でしょうか、

『子供は地域で育てる』ことをきちんと形にして守り続けている

この町の生き方に、かつての繁栄した底力を感じておりました。

「昔は子供が沢山生まれて、『初山』も

 大層賑わったのですが

 今は随分少なくなりました、でもこの神事だけは

 続けていきますよ」

会長さんは聳え立つ富士塚を目を細めながら見つめると

そう呟くのでした。

会長さんに許可をいただき早速初山登山、一合目から九合目まで

標識に沿って頂上へ、そこには浅間大神が祀られ、そこからの

眺めは見事なもので江戸川の向こう側に神の山 筑波峰が輝いておりました。

此処にも守りとおす大切な事が人を繋いでいることを教えられた

旅の途中です。