「オニは外!」

さあ節分です、今年も日本中でオニが豆をぶつけられる・・・

いつも嫌われ者として登場させられるオニとは と

改めて質問されてもすぐには答えられないですよね。

千年も前の書物にも頻繁に登場していたオニ、

歌人の馬場あき子先生は「鬼の研究」の中で

 日本のオニが土俗的束縛から脱し、その哲学を

付与されたのは鬼女(般若)が創造されたことを

もってはじめとしてよい。

と申しておられますな。

(五條天神社)

謡曲に現れる般若は中世の鬼のなかでもっとも鬼らしい鬼と

して登場してきたことで、なにやら恨み、苦悩、の権化のように

感じますでしょ。

世阿弥は「形は鬼なれども、心は人なるがゆへに」と申して

おりますが、般若まで行き着くとなにやら背中がぞくぞくする

ほど恐ろしさが募りますよ、なにしろアタシは鬼姫様に半世紀も

仕えている身でございますからね。

そんな鬼を、庶民はもっとユーモアあふれる俗物としてとらえて

いるのが、節分に現れる鬼なんですね、

(黄金で出来た四つ目の仮面を被る方相氏)

今年もいよいよ鬼が主人公になるあの節分会がやってまいりました。

平安時代に行われていた追儺の儀式を今に伝える神事を節分会に行って

いるのが上野の五條天神社の「うけらの神事」なのです。

明日が立春というには冷たい空気の中、大勢の善男善女が集まった境内には

和やかな雰囲気に包まれておりました、

しかし、その「うけらの神事」が始まると、ピーンとした緊張感が

感じ始めるのです。

五條天神社は東都の由緒ある社で、大己貴命と少彦名命を主祭神として祀り、

六年前には千九百年祭を挙行した古社なのです。

本殿には34名の年男・年女が集う中、宮司による祝詞奏上が静かに流れるなか

始まりました。

社の成り立ちに始まり、追儺の儀式を執り行う訳が語られるのを低頭しながら

聞くに従って、千年前へ時空を遡っていくようでございます。

祝詞が奏上されると現れたのは、黄金で出来た四つ目の仮面を被り、

玄衣に朱の裳を着用、頭には熊の皮を被っている方相氏、

その凄まじい形相に、すでに鬼が現れたかと思うほどの強烈な

インパクトを感じるでしょう。

(「蟇目(ひきめ)の儀」)

方相氏は鬼を払う役目を負った役人ということなのですが、

本来なら右手に矛、左手に盾をもって登場するのですが、

こちらの方相氏は最初から弓と矢を手に登場し、四方を

清めるように弓を叩く所作をするのです。

なぜ、目が四つあるのかという疑問を持ってしまうのは

やはり異界の鬼の一種と感じるからでしょうかね、

多分、四隅にいる鬼たちを見過ごさないという意思を

表しているのが四つの金色の目というのでしょうか。

昔の人々の想像力の逞しさを垣間見る思いです。

方相氏が本殿への入り口を塞ぐように座り込むと、神官が手に

弓と矢を持って登場する。

どうやら「蟇目(ひきめ)の儀」の始まりです。

蟇目の儀は多くの人々の前で、弓矢の徳威に依り、天下の邪悪を

祓い清める神事として行われるもので、どうやら神事の初めに

執り行われるようです。

神官は境内は勿論のこと、氏子町の方向へもその蟇目鏑矢を

弓につがえて矢を放す所作を決める。

何やら騒々しい声が聞こえてくる、振り返ると鳥居の向こうから

赤鬼・青鬼が気勢をあげて乗り込んでくる、

この鬼たちの登場で境内の緊張は急にやわらぎ、なんだか鬼たちが

心底悪者ではない空気が流れるのは、庶民の中に息づく鬼とは

意外にも嫌われモノとしてだけではない親近感を感じているから

なのでしょうか。

その鬼たちが威嚇すると、みんなが笑顔で応えているところに

なんともいえない日本人の優しさを感じてしまうのです。

ここでもう一度、鬼とはなんですか・・・

それは悪霊であり、病魔であり、妖怪であるけれど、

一方で、権力者によって退けられた弱き人々という観念を

持った哀れな鬼という名の人の気配を感じるからなのでしょうかね。

二匹の鬼たちがなだれ込んでくると、あの方相氏がすっくと立ち上がり

鬼たちを威嚇する、

ここから先へは一歩も入れないという意思をみなぎらせている。

神官は本殿入り口に置かれた壺の中で うけら を焚く、

もくもくと立ち上がる うけらの煙は辺りへ広がり始める、

 恋しけば袖も振らむを武蔵野の

    うけらが花の色に出なゆめ 

    万葉集第十四巻

うけらとは おけらという薬草のことで万葉の昔より厄除けとして

知られる花で、そ焚いた煙が邪気を祓うと伝えられていたのですね。

その煙がたなびく中で、年番氏子総代が登場し、鬼たちと問答を

始める、この問答のやりとりは確か、柴又帝釈天の節分会でも

行われておりましたね、やがて鬼たちは罪を意識したのか殊勝な姿を

見せ始める、そこへ再び方相氏が鬼の前に両手を広げて一括

  「鬼はそと!」

鬼が退散すると、方相氏、袴姿の年男・年女、宮司、巫女、

氏子総代、役員一同が手に手に福豆をまく。

集まった人々は、みんな童心にかえって福豆をいただくという

なかなか凝った節分会でございましたな。

有名芸能人や相撲力士を集めて盛大に豆を捲く節分もいいですが、

古式の伝統を見せてくれる追儺式もまたこの国の文化を知る

いい機会かもしれませんですよ。

帰りに、「うけら餅」を押し頂き、我が家へと帰るといたしますかね、

あの、我が家では間違っても 

「オニはそと!」

とは申し上げられませんがね。

(三年前は賑やかに行われておりましたな)