立春

 春の気立つを以って也、

暦便覧にはそう記してありますが、実際は寒さのどん底

でありますな、それでも、「立春」と言われれば心なしか

春の香りが漂ってくり気がしませんかね。

「追儺より四方拜につゞくこそ、面白ろけれ。晦日の夜、
 いたう暗きに、松どもともして、夜半すぐるまで、人の
 門叩き走りありきて、何事にかあらん、ことことしく
 のゝしりて、足を空にまどふが、曉がたより、さすがに
 音なくなりぬるこそ、年のなごりも心細けれ。
 亡き人のくる夜とて魂まつるわざは、このごろ都には
 無きを、東の方には、猶することにてありしこそ、
 あはれなりしか。」
             徒然草 第十九段

吉田兼好先生も追儺の儀式を終え、人々が大声で駆け廻る

騒ぎを聴きながらやがて静かな夜更けとともに新たな年を

迎える様を書き残しておりますな。

(寒紅梅)

新暦にどっぷりとつかってしまった現代人には節分は単なる

豆まき行事で、立春を新たな年の初めと感じる心は消えて

しまったようですが、旧暦を感じていたい想いのさすらい爺さんは

新しき年の初めをどこかにないかと寒空の下、早速歩き出すので

ございます。

「たしか陰暦二月を梅見月と呼んでいたはずだが・・・」

近所に梅園のあることを思い出し、ぶらぶらと出かけてみれば、

一面の梅の木はまだ固い蕾ばかり、その中にこの寒さの中

健気にも咲いた梅の花あり。

(冬至梅)

この小さな公園には、冬至梅、八重冬至、寒紅梅、鹿児島紅、大盃

なんていう早咲きが寒さの中で健気に花を開いておりましてね。

梅ではありませんが数本の蝋梅の香りに交じって馥郁たる梅の香に

こちらの顔までほころぶのでございます。

ぽかぽか陽気の青空の下で見上げる梅もいいのですが、

凍てつく寒さの中で凛として咲く梅の花は何と気高いのでしょうか・・・

今日の最後の光が一瞬だけ純白の梅の花を浮き上がらせると、

辺りは急に影が覆い始める、

(素心蝋梅)

馥郁たる香りとまではいかぬが、寒風に吹かれながら

天に向かって開いた寒紅梅に思わず声をかける。

「寒くはないのかい」

するとはにかんだ様に頬を紅に染めた。

その先に純白の花あり、

「冬至梅かね・・・」

固く結んだ口元はほころぶことはない。

やれやれ、観梅には早すぎたようだね。

足元に陽だまりがあるのかと思って近づくと猫、どうやら

北風を受けづに日向ぼっこをするにふさわしい場所なのだろう

「おい、そんなに気持ちいいのかい」

と親しみを込めて訊ねたが返事はない、

あれ、昼寝かね、なんと気持ちよさげじゃないかね、

アタシも真似て、陽だまりのベンチでひと休み、

ところが、いねむりできるほどの温かさはありませんですよ、

がたがた震えながら、梅と猫を替りばんこに眺めていたが、

どうにも寒さに我慢できず昼寝は中止、

足元には、寒に降った雪が残っているのですよ、

そうか、猫クンは毛皮を着こんでいたからな、こっちは襟巻だけの

防寒具じゃ太刀打ちできませんですよ。

カメラを持つ手が悴んで感覚が無くなり始めた時、

係りの老人がカギを持ってあらわれた、

「そろそろ閉園です」

こちらもやっと梅の花から離れる機会を与えられて

ほっといたしました。

もしかしたら、あのまま梅の木の下で身体が凍り付いて

いたやもしれずですよ。

(鹿児島紅)

うーん、探梅とは粋を通り越して、寒修行へと

足を踏み込んでしまったかと思えるのでした。

子供たちの帰った後の凍り付いた木道をそっと

歩いてみる。

「バリッ! バリッ!」

 探梅や 凍てつく先の 梅一輪  散人

粋人を気取るのもまた修行なるかな。

やれやれ、お風呂でも寄っていかなきゃ人間に戻れそうも

ありませんや。

気温 1度、北風がビューッ!