日々の暮らしが東京にある、

東京が当たり前の街になると、

なんでこんな無味乾燥した街なんだと

気に入らないことばかりが目につく、

いや穿り返して探し回っているのだ、

東京が嫌いで、だから旅に出る

知らない街を歩いている時だけ東京を思い出さなくて済むのだから、

何日かして、東京に戻る、飛行機でも、新幹線でもいい、

東京のネオンが見えた時、

「ああ、東京の灯りだ」

と胸が締め付けられるくらいジーンとする。

故郷を思う気持ちとも違う、東京には自分の人生のすべてが

沁み込んでいることを実感する瞬間なのだ。

どんなに嫌なところばかりが目についても、心のどこかに

東京を肯定する気持ちがくすぶっているのだろう。

いつからだろうか、東京が美しくそして切なく感じるようになったのは、

50年以上も関わってきた街 東京、

全てを受け入れてくれた 東京、

今度は自分が東京のすべてを受け入れる番なのかもしれない、

モノの見方とは一つだけではない、

いいと感じるモノには、正反対の嫌なモノが必ず含まれている、

どちらを受け入れるかで判断が正反対になることを知ったのは、

多くのいいこと、イヤなことを体験を通して初めて知る、

そのことに気付くのに50年という月日がかかったのだろう、

若い時は絶対に許せなかったことが、

今なら、たいしたことないよ と受け入れている。

多分、年の功とはこういう心境になることなのだろう。

地下街から階段を上ってくると雪は消えていた、

東京の空はいつも細長く見える、

空がいつも区切られている、

全てが見えない制限された空を雲が流れていく、

仕事を終えた無口の人々は、目の前の足元だけを

見つめながら足早に駅へ向かう、

空を見上げる必要はない生活の延長の一日が過ぎていく。

そうだよね、空なんか見つめたら、現実の日々の暮らしが

むなしく感じてしまうことを判っているのかもしれない、

もし、そのむなしさに気付いてしまったら、

此の町から逃げ出すことばかりで頭の中がいっぱいに

なってしまうことをみんあ承知しているから、そうならない

ように早足で歩いているのだろう。

立ち止まったら、此の街から逃げ出したくなるから・・・

大丈夫だよ、この街を離れてみると、此の街の素敵な部分に気付くのだから

そんの気になった時は、思い切って旅に出てみるといい。

見知らぬ町の夕暮れ、見慣れた街の黄昏

どちらも麗しいと感じられるこころを持ち続けたいと

今はどちらも肯定している自分がいる、

ビルの街のショーウインドウに移った黄昏が

こんなに美しいと感じることができたなら、

今日という日を、とても大切に思えるからね。

細長い今日の空が一瞬だけ輝いて消えた、

さあ、もっと自由に旅を続けよう、

旅をするのに 理屈などいらないのだから・・・

(3年前の寒中の銀座・・・)