この国は何処を旅しても 変わらぬ ということに

出逢うことが少なくなってしまったようです。

かつての都に縁のあるような町を小京都といって

昔を偲ぶ町があるように、今は東京を本当に小さくした街が

彼方此方に作り出されている、

もしかしたら小東京というつもりなのだろうか、

変わり果てていく小東京にヘキへキとする旅を続けていると

変わらぬ姿を留める町を無性に訪ねたくなるのです。

渋川の町からほんの30分も車を走らせると、

そこは湯の町伊香保、

百年前は渋川から馬車に揺られて湯治の客がやってきた、

時間をかけてやってきたからには、一週間は滞在するのが

当たり前であったという。

時代は変わり、便利さの象徴である車、

スピードは善であるかのような鉄道は、この変わらぬ湯の町を

激変させてしまった。

もう此処は宿泊する町ではなくなってしまったのです、

勿論、温泉好きは昔と変わらず今も多いのですが、

日帰り温泉にさーっと浸かると山を下りていってしまう、

食事はどこか街道筋のファミリーレストランというのが

今や当たり前のコースなのですから、

湯宿にゆっくり泊まって旅情を味わうなどという情緒は

もう望む術もないのですね。

かつての湯治客は、この湯の町から籠に揺られて伊香保沼を訪ねるのが

滞在中の唯一の楽しみであったという。

田山花袋、竹久夢二、島崎藤村、若山牧水、与謝野晶子、林芙美子、

萩原朔太郎・・・

多くの作家がこの伊香保をその作品の中に登場させていることで

いかにこの地が当時愛されていたかが覗われるのです。

徳冨 蘆花は晩年の最後をこの地で終わらせた、彼が最後に見たのは

籠に揺られて訪ねた伊香保沼(榛名湖)からの榛名富士であったのだろう、

ここにあるのは彼らが眺めたであろう景色とほとんど変わることのない

湖と山の調和が今もそのまま残されている稀有な場所なのです、

いいことに、便利になった交通手段のお陰で、此処を訪ねる人は

30分も居ると、何もない景色だけに耐えられないのでしょう、

さっさと山を下りて行ってしまうのです。

やがて夕暮れの湖は、かつて文人達が愛した静かな自然へ

戻り始めていくということなのです。

紅に染まり始めた木々の葉を湖水を渡る風が揺らしている。

その湖水にはたった一艘の小船だけが漂うだけ、

そのボートもやがて桟橋に戻ってくる。

「釣れましたか?」

「いえ、釣れなくてもいいんです、なんだかこの湖を独り占め

 したような気分でしたから、それにしても湖の上は寒いです」

西の空が染まり始めると、夕闇が辺りを包み始める、

さすがに晩秋の山上胡は体から熱を奪い取っていく、

そろそろ温泉のある石段の町へ下りていくかな・・・

今宵は人気(ひとけ)のなくなった湯の町で一夜を過ごすとしますか、