まつりが始まって三日目の夕暮れ

どこからともなく人が集まってくるんです

爺ちゃんに手を引かれた孫娘がヨチヨチと歩き出す、

金魚の浴衣が小さく揺れている。

浴衣に手を通した少女の少しだけ大人びた姿を

同級生の少年が眩しそうに見つめている。

もしかしたら神さまが町中に確かに居られることを

身体のどこかで感じ取っているのかもしれないね。

上宿町のあの結界の注連縄の下が決められた場所、

各町内の花山車が勢ぞろいすると、いよいよ若衆たちの

山車曳き廻しが始まった。

神様を町中にお迎えし、精一杯のもてなしをして感謝の意を告げ、

一年の指針となる神意を伺うのがまつりの本位であるから

神様が一番お喜びになることを行うことで、自分達も神様から

元気のエネルギーをいただく というのがまつりを行う真意、

そしてまつりは未来を託す若衆を育てるための大切な儀式でも

あるのです。

まつりになくてはならないのは神輿と山車、

神輿は神様の御霊を安置して、自分達の里へ来ていただくための乗り物、

勿論、ケガレや間違いがあってはならない大切なもので、その取り扱いには

慎重な儀礼が行われる。

山車は平安時代、京都八坂神社の祇園祭の際、天皇即位のための祭事で

ある大嘗祭で曳かれる標山に倣って行われた山鉾巡幸が山車の起源だと

されています。

山車もれっきとした神様の乗りもので、そのお傍に仕えるのは

一番ケガレのない稚児が乗るのが習わしであったのですが、

稚児に代えて、神の形を人形にしてその山車の上に乗せた人形山車が、

やがて装飾を加え、趣向を凝らした彫刻や飾り物で、見られる

まつりへの意識が形になって現れるようになったようです。

かつては、まつりの日に若者が羽目を外すことは、無礼講といって

容認されていたこともあったのです。

神に触れていることで、血が騒ぎ、興奮、狂乱は荒ぶる神の威光

だと信じられていたのです。

まつりは正に若者無しにはなりたたないのです、

その若者の暴走を食い止めるために、人生経験豊富な、中老、大老の

知恵が必要になったのは、経験から作り出された先人達のまつりに

対する人間のかかわり方を後世に残した文化遺産でもあったのですね。

今は、真壁の山車も町内同士のぶつかり合いはなくなりましたが、

山車をみていると、飾りつけよりも、鎹(かすがい)を通し、いかに

丈夫に作るかを模索していた跡が見られるのは、かつて、

この山車をぶつけ合ってもみ合ったケンカ山車を彷彿させるものなのですね。

若衆山車曳き廻しは、もう歩くことが出来ないほどの人、人、人、で

身動きできないほどの熱気のなかで、いつ果てるともしれない

若衆のエネルギーがほとばしるのでした。

若衆たちの発散する熱気にいささか疲れはて、山車の通り道を離れる、

路地をひとつ曲がると、そこは穏やかな刻の流れる昔町、

軒下に吊るされた祭提灯の灯りに照らされた縁台に人が座って

遠くから聞こえてくるお囃子に耳を傾けている、

その老人達の髪には丁髷が・・・

アタシは思わず手にしていたカメラのシャッターを押していた。

しかし、その老人達の姿は何処にも写っていないのです。

「もしかしたら、あの世から見つめていた人々だったのでしょうか・・・」

それも、不思議とは思えなかった昔町真壁の夕闇です。