祭り見物と散歩に明け暮れるなんていう生活は、昔なら隠居の特権

みたいなものですが、隠居するほど余裕もなく、あくせく仕事しながら

気分だけは隠居になろうというのですから、けっこう身体はしんどい

ものですよ、

さて水無月の東京は夏祭り真っ盛り、土日は祭りにうつつを抜かし、

平日はのんびり散歩、いいでしょ、お金もかからないし、身体も

適当に運動になるしね、

それに、好きなことをやってるんですから、ストレスが溜まらない

ことだけは確かですよ。

散歩というのは、突き詰めれば旅の一部になり得るというのが、

体験してみるとよーく判るんですね、

何事も、頭だけ使った知識だけでは人生の奥深い感慨みたいなものは

気づかないものなんですよ、

まあ、爺の戯言など、何の価値もありませんからブツブツ云ってないで

さっそく散歩に出かけますかね。

いつもの散歩ですから、そう代わり映えはいたしませんよ、

まあ、日常なんてものは、変化のないことに価値があるんで、

毎日、毎日、変わったことばかり起こったら、身体より、精神の方が

真っ先に壊れちまいますよ。

何時もの路地をひょいと曲がると、彩り鮮やかな雨の花が顔を現しますよ、

此処は寺町・坂の町、その坂道に沿ってお寺さんの長い塀が続きます、

永久寺の門前で足が止まります、

「おお、今年も見事に咲いたね」

紫陽花みたいですけど、これ イワガラミなんですよ、

大抵の人はこの前で立ち止まると、不思議そうな顔をするんです、

「アジサイなのかな???」

って顔で、「でも、ちょっと違うな・・・」

アタシはそんな不思議そうな顔をちらっと見てるのが好きなんですよ、

「これ、アジサイですよね」

なんて尋ねられると、

「似てますね、なんでしょうかね」

って応えるようにしているんです、

だって、すぐに教えてしまったら、その人は納得してもう

三歩歩いたらこの花のことを忘れてしまいますよ、

人間は疑問に思ったことが判らないままというのは、

時にはとても不安に思えるのでしてね、

その判らないことを、そのままにしておける人は、それはそれで

生き方が大らかになるかもしれないし、判らないことをそのままに

しておけない人は自分で調べたりするでしょ、

アタシは後者の部類で、人に聞かずに調べるタイプ、

判った時の嬉しさが、記憶の扉をひらくんですね、それからは、

このイワガラミが咲く季節になると、逢いに来たくなったりするんですよ、

どちらにしても、花はいろいろな想いを抱かせてくれるのですから、

梅雨入りしたからといって散歩を止めるなんて勿体無くて出来ませんですよ。

軒下に咲くアジサイの前で立ち止まって花を眺めていると、

「あんた、これ綺麗でしょ、ここの奥さんが丹精こめてるのよ、

アタシの家のと何処がちがうのか、此処のほうが綺麗なのよね」

犬の散歩の途中のおばちゃんが気さくに声をかけてくれる、

立ち止まったから声がかかったんですよ、急ぎ足ですれ違った人には

声だって掛けられないでしょ、

昔から「袖振り合うも多生の縁」って言うじゃないですか、

今度はおばちゃんと一緒に散歩です。

この町で生まれ、この町で育ち、この町で年取ったというおばちゃんは

この町のことは何でも知ってるらしい、

ひとこと聞くと、十ことくらい返ってきますよ、

そういえば四軒長屋が残っていたはずの場所に、小さなマンションが建って

いるじゃないですか、

「去年のほら大地震で屋根に穴が開いちゃってさ、

 とうとう壊してこれが建ったのよ」

「貸本屋はアタシの子供の頃は毎日通ったのよね」

そこにもマンションが建っています。

「あそこは八百屋さんだったのよ。今はキラキラネオンの店に

なっちまったわ」

「この犬11歳なんだけど、相変わらず臆病でね、知らない人を見ると

震えが止まらないのよ」

アタシは聞き手に徹していたのに、喉がからからになっちまいました。

おばちゃんにお礼を言って歩き出すと目の前が甘味処、

「お汁粉をお願いします」

「あら、アレは冬のメニューで今は氷なんですよ」

そうでした、水無月は夏ですものね、

「それじゃ、みつまめ をひとつ」

散歩は季節を感じる最善の仕方なるかな。