旅の途中

小鹿野歌舞伎

(春日町子ども衆による秩父屋台囃子)

小鹿野の町に薄闇が覆いはじめる頃になるといよいよ

歌舞伎舞台の幕開けです。

春日町子ども衆による秩父屋台囃子が鳴り響く。

日頃から稽古を積んでいることが判る腕前に

みんな眼を細めて拍手喝采です。

(三番叟)

今年の春日町歌舞伎は小鹿野歌舞伎保存会の皆さんによる

ものでしてね、まず舞台に登場するのは

『三番叟』でございます。

三番叟の舞はこれから演じられる舞台を清める意味と

種を蒔く仕草や、足拍子による地固めの所作を観ていると

五穀豊穣を寿ぐ意味が込められているようですね。

ひょうきんな所作と力強い足拍子がなかなか新鮮でございますな。

いよいよ歌舞伎狂言が始まる前に

舞台に上がった春日町若衆の代表による 口上、

緊張の中に笑いを交えた口ぶりに観客席から大きな掛け声が

飛びますよ。

さすが小鹿野歌舞伎保存会の舞台は本格的でございますな。

今宵の出し物は

『絵本太功記 十段目 尼ケ崎閑居の段』

「わけて皆々様方に御願い申しああげ奉りまするは、役者並びに
 裏方一同に至るまで、未熟不鍛錬ものに御座りますれば、御目
 まだるき所は袖や袂で、幾重にもお隠しあって、よき所は拍手
 栄当栄当の御喝采、七重の膝を八重に折り、すみから、すみまで、
 ズズズイットウーー、オン願い申しああげ奉りまする。」

とここで 柝(き)が入っていよいよ歌舞伎のはじまり・はじまり・・・

『絵本太功記 十段目 尼ケ崎閑居の場』

登場人物

武智十兵衛光秀  

武智十次郎光義、初菊(十次郎の許婚)  

皐月(光秀の母)  操(光秀の妻)

真柴筑前守久吉  加藤正清

江戸時代から歌舞伎での歴史物には徳川家に遠慮して実名を使わないという

配慮があったのです。

少し字を変えて誰だか判るようにはしております。

舞台は尼ヶ崎の場で、尼となった皐月(光秀の母)の住む竹藪の庵室、

十次郎と初菊の恋模様。死を決意した十次郎が初菊と別れを惜しむ場面

皐月と操(十次郎の母)は出陣する孫の十次郎のために、許嫁の初菊と

祝言をあげさせ初陣の杯を交わす。

夕顔棚の段

『入るや月漏る片庇、ここに刈り取る真柴垣、夕顔棚のこなたより

  あらわれ出でたる武智光秀』と義太夫が流れると

光秀が旅の僧に化けた久吉を追って登場します。

(夕顔棚の段)

光秀は隠れているはずの久吉を槍で一突きしますが、

意外にもその槍にかかったのは母の皐月でした。

皐月は苦しい息の下で、主君を討った光秀を諫めるのです。

妻の操のクドキの場面

「これ見給え、光秀殿」

「せめて母ごのご最期に、善心に立ち帰ると、たった一言聞かしてたべ」

何度聞いてもこの場面はいいですな、

義太夫が

『拝むわいのと手を合わし、諌めつ、泣きつ一筋に、夫を思う恨み泣き』

と重なっていくところは見せ場でありますよ。

(妻の操のクドキの場)

戦で重傷を負った十次郎が帰ってきて、苦しみながら

「親人、ここに御座あっては危うし、危うし。

   一時も早く本国へ、サッ、早く」

と光秀へ・・・

ここで義太夫が

『深手を屈せず父親を、気遣う孫の孝行心。聞く老母は聞きかねて』

老母皐月の

「あれを聞いたか嫁女。その身の手傷は苦にもせず。

 極悪人の倅をば、 大事に思う孫が孝心。

 ヤイ光秀、子は不憫にはないか。

 可愛いとは思わぬやい」

親と子を一時に失い進退窮まった光秀の慟哭の表情がいいですな、

皐月も十次郎も死んでしまい動転した光秀の前に

真柴筑前守久吉と佐藤正清が現れる。

(佐藤正清)

後日天王山で再び会うことを約して去っていくところで

幕切れとなるのでございました。

何度観てもこの十段目 尼ケ崎閑居の場 はいいですな。

2016.04.17 小鹿野にて

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2 Comments

  1. 御高覧 ありがとうございました。

    • 旅人 散人

      2016年4月22日 — 12:11 PM

      初菊様
      小鹿野歌舞伎の素晴らしさに夢中でございます。
      今年も何度かお訪ねさせていただきますのでよろしく
      お願い申し上げます。

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