さてと、今年もいよいよ押し詰まってまいりましたな、

年の瀬の今時分、今年一年を振り返ってみるというのも

自分にけじめをつける意味でやってみようかと思うのは

過ぎてしまうと二度と会えない刻への感謝を込める意味でも

無駄にはならないでしょう、

毎日必ず何処かの町を歩くと決めて、もう何年続けて

いるでしょうかね、誰かに言われたわけでもなく

自分で自分に課したことですから止めるに止められない

というジレンマに陥ってしまったのかもしれませんが、

こうして振り返ってみると

まず病気をしなかったこと、夏の熱射病も乾燥した冬の風邪にも

除けて通る術を身に着けていたおかげで、毎日コツコツと歩けたと

いうわけですよ、

そりゃね、何の見返りもない行為ですから、バカバカしくなって

止めようかなんて何度も想いましたよ、

でもね、止めたからといって10年も続けてきたことに代わるこれ以上の

楽しいことが他にあるかと考えるとないのですよ、

お金のために何かするというのは当たり前すぎて気持ちが

高揚しませんでしょ、

何も見返りがないということこそ、迷いが無い行為に思えるのですよ。

そりゃ、他人様のために奉仕するというのもいいかもしれませんよ、

でもね、なんだか無償の行為を誰かに褒めてもらいたいなんていう

下心が見え隠れしていそうで潔くないじゃないですか、

実は何の見返りも無い行為というのは、ありそうで中々ないもの

なんですよね。

一日の行為は、その日で完結させてしまう、明日目が覚めればまた

またその一日だけを無事終わらせればいいだけなんですからね、

そりゃ生きていくためには食も職も居場所も大切ですよ、

ほら昔からいうじゃないですか、

「起きて半畳、寝て一畳」ってね

人間の欲望なんてものは求めれば切りがないもので、

あれも欲しい、これも欲しいと思えば思うほど自分の行動が

束縛されちまうんですよ、

だって欲しいものを手に入れるには稼がなければならなくなるじゃないですね、

無理して、寝ずに働いて身体壊して病院へ、高い治療費払って

計算したらマイナスなんていうのくらいバカバカしいことは

ありませんよ。

それなら、欲しいもの(物欲)を消してしまう、

するとね、人間最後に残るのが食欲だけになるんじゃないですかね、

だって食べないと生きていけなくなるんですから、

今年も随分沢山のお祭を訪ねました、

お祭くらい、見返り無しで奉仕できることはないでしょ、

そして、お祭の本義とは、神に神饌を捧げる行為そのものなんですね、

日本人が考え付いた おもてなし とは、ヒトが思いつく最高の食材を

神に捧げ、神と一緒にその食材を食すこと これが日本の祭りの本義だと

気付かされたのですよ、

あの煌びやかな山車の巡行も、神輿の渡御も、神楽の舞いも神との大宴会を

共に楽しむための娯楽なんですね。

食こそ人間の最後の砦であることを知っていた古人たちは、祭りという

儀式のなかにその神饌を第一に捧げることで神から生存の保証を受けて

きたのが日本人なんですよ。

このことがはっきりと判っただけでも、祭りを追いかけた意味があったという

ことかもしれませんよ。

これだけ力説すればもうお解かりでしょう、ヒトは食べなければ生きていけないこと

がね、で、無事一年を過ごせたことに感謝して、新たな年神様をお迎えするために

御節料理を用意して年神様と一緒に食すことこそ日本のお正月だったのですよ。

それで、お正月のために最高の食材を求めに今年も市場の雑踏の中を歩いているので

ございます。大勢の人々と同じようにね・・・