九年前の記憶を辿っています。

毎日、毎日、ニュースは危機を煽るかのように暗い話題を

振りまいています。

「そんな暗いニュースを朝から晩まで聞かされて、アタシ等に

どうしろって言うのさ」

「思いやりを持ちましょう」

なんてTVで毎日言われなくたって、

みんな持ち合わせておりますよ。

地震の揺れに驚いたのは東京も同じ、でもすぐに気を持ち直して

何かやらなければと奮い立ったのに、元気でいなければならない街は

どうしたのでしょうか。

(和光のショーウインドウにシャッタが降りている)

勿論、無駄な灯りは慎まなければならないことは当然です、

が・・・

今、昼間の巷に流行るもの

行列、渋滞、整列、

夜の巷に流行るもの

闇夜、俯く人の無口な顔、灯りの消えた看板、

暑さ寒さも彼岸まで、日が永くなったことが実感として

わかるようになりました、

夕方六時はまだ陽が残っています、

「どうしたの??」

デパートも、和光も、シャネルのビルも、カルティエも、

もうシャッターが降りています。

それから一時間、和光の時計が七時の時報を打つと、

辺りは真の暗闇です、

「どうしたの??」

「自主規制です」

店の看板は灯りをつけないので、実際に営業しているかどうか

わかりません、たまりかねた店主は表に出て客引きを始めました。

みんな素通りしていきます、

まるで、外食をすると非国民の気分にさせる雰囲気が街を覆いつくして

いるのでしょうか。

律儀で、温かい心を持つ日本人は何処へいったのでしょうか、

街から灯りが消え、音楽が消え、笑顔が消えました。

もしかしたら、風評という大きな波がこの健全だった街を

覆い尽くしてしまったのでしょうか。

久し振りにあの虹山虫太郎君に出会いました。

「元気かい!」

「久し振りです、元気でやってます」

とあの人懐こい笑顔で迎えてくれました。

「それにしても暗いね、半世紀も通い続けているけど

こんな銀座は見たことないよ」

「みんな真っ直ぐ帰宅してしまうのです、知り合いのレストランは

昨夜は客ひとりだそうですよ」

元気でいられるはずの街がまるで被災地のようです。

「元気でいなくちゃね」

何処からともなくギターの音色、

街頭でMOTOKIさんが歌っている、

観客はアタシひとり、

彼の温かい声と笑顔が何よりもうれしい、

「いつも唄っていた店が閉めてしまったので、また

ここで唄い始めました」

13年も歌手を続けている彼の声は、今、何をしなければ

ならないかをはっきりと示しているのです。

別れ際に

「僕にできることはこれだけですから」

とニコッと微笑んだ。

難しいことをやろうとするから、みんな俯いてしまうのかもね、

そうだよ、自分が今できることで生きていくことが大切なんだ。

「アッ、月だ!」

今まで余りにも明るいネオンに隠れて見ることができなかった

14日の月です、

FUJIYAの灯りの消えた看板の上で輝いている、

和光の時計塔の上で、もしかしたら月は笑顔を

見せているのでしょうか、

俯いて急いで歩いていく人々は誰も気づきもしない、

いや、気づこうという気がないほど、

打ちひしがれてしまったということなのでしょうか。

闇が辺りを覆い尽くせば、そこが被災地であろうと、

銀座のど真ん中であろうと

月は惜しみなく輝いてくれていますよ。

ならば、闇夜の明けない日はありません、

明日はもっと眩しい太陽が燦々と照らし出すに違いない、

それが自然の摂理というものなのだから。

あの大震災から七日目の銀座の宵です。

いま思い出してみると、誰かに「こうしなさい!」と

言われたのではない、周りを慮る感情がひとりひとりを

自主規制している、日本人の気質なのだと片付けていいのだろうか

みんなが同じ方向を向いてしまうことの怖さを感じないわけには

いかないのです。

頑な想いは、何かの弾みで何処へ向かうのか・・・・