二人の女性に逢う為に向かった先は谷間に

昔から栄えた温泉場でありました。

落人伝説が今も残る湯西川から山を越えて

この地にたどり着いたのは

平 貞能公と小松殿(平 重盛)の妹 妙雲禅尼、

彼女はこの地に小さな草庵を結び一生を終えたと

伝説は伝えています。

今を去る八百年の昔のこと。

妙雲尼を偲んでこの地に建てられたのは

甘露山妙雲寺

牡丹の花の頃を外せばいたって静かな佇まいであります。

もう一人の女性は、寛永18年ここ塩原元湯で生まれた「あき」。

水戸の湯治客の紹介で

江戸吉原の妓楼「三浦屋四郎左衛門」の養女となり、

女としての嗜みを修得する。

しかし運命とは皮肉なもの、

振袖火事で全焼した三浦屋再建のため養育の恩返しと

遊女となり「高尾」を襲名。

才色兼備の名妓も病には勝てず

「寒風にもろくもくつる紅葉かな」

の辞世を残して19歳で無くなった。

戒名「転誉妙身信女」。

あの高尾太夫と会っているのであります。 

苔むした石碑に合掌。

方や平家落人としてこの地に消えた「妙雲尼」、

そして700年の時空を超えて現れ消えた「高尾太夫」。

歴史とは何というドラマを垣間見せてくれるのでしょうか。

人気(ひとけ)の消えた境内で二人との逢瀬を楽しむ旅の途中・・・。

栃木 塩原温泉「妙雲寺」にて