温かだった温泉の街を後に峠を越え山上の湖に来てみれば

其処は冬ざれの冷たさだけが漂っていた。

神の山は雲間に紛れ天下の絶景と語り伝えられた

富士を仰ぐはずの塔ケ島からの景色は曇り空の中、

かつてこの塔ケ島に函根離宮が建設された。

時は明治19年、二階建ての白亜の洋風宮殿であったという。

久し振りに塔ノ鼻を巡る周回路を歩いてみた。

健脚コースの標識があるだけに、登り下りの階段が続く小道は

何度も休みながら息を整えなければならなかった、

随分体力が落ちたものですよ。

其の分、ドライブに馴れきった観光客はどうやら

此処まではやってこないのだろう、

最後の急階段を登りきると、絶景の展望台へたどり着く、

見慣れた芦ノ湖も視線を変えると悠久の歴史が沸きあがってくる、

誰も居ないはずの展望台に聞こえる話し声、

耳を傾けると、

はるか眼下を通り過ぎる遊覧船の中の語り声であった、

まるですぐ隣で話しているように聞こえる笑い声、

山の静けさが知らせてくれた不思議、

姿は見えぬのに

その声だけの二人を想像していた。

明治の高官たちが集いあった函根離宮、

旅人に難儀をもたらした箱根関所、

享保13年、雄雌二頭の象が八代将軍への献上ということで

長崎にやってきましたが、雌は間もなく死んでしまい、雄だけが

長崎から江戸へ陸路を運ばれた、

しかし長旅の疲れから象は箱根宿で倒れてしまう、

付き添ってきた長崎代官所の役人達は慌てふためき、

八方手を尽くし、好物の竹の子などを集め懸命に手当てしたという。

その甲斐あって三日目に元気を回復した象は無事江戸城に到着し、

将軍はじめ江戸庶民にいたるまで大喜びした。

あの浮世絵にまで書き残された日本で初の象もこの箱根路を越えた。

そして悲劇の皇女和宮は

明治10年9月2日、静養先の塔ノ澤温泉元湯で

御歳32歳の生涯を閉じられた。

数々の歴史をその美しい自然の中に残したまま、

箱根は静かな時を刻み続けている。

雲間から差し込んだ一条の光が、散り残した黄葉を輝かせた

今年最後の山の彩りを確かめると、

さらに遠く見える伊豆の山並みに心が向かい始めておりますよ。