旅の途中

大震災

生と死の分かれ道は突然やってくる、

日々の生活の中で、考えもしないことにいきなり

直面した時、人はもがき、苦しみ、自分自身へ

問い返すのです。

「私は何のために生まれ、

  何のために生きるのだろうか」 と。

家から、事務所から、人々が飛び出してくる、

両肩を得体の知れぬ大男に思い切り上下左右に揺すられる、

これは「一大事だ!」

永い人生の中で、経験したことの無い体験が

のしかかってくる。

前を歩いていた老婦人は腰が抜けたようにくずれ倒れた、

立っていることが出来ないのだ、

目の前の塔が見ていても判るほどにぐらぐらと揺れている、

下町に張り巡らされた電線が、まるで縄跳びのゴムひものように

音を立てている、

地面に這いつくばってただただじっとしている以外に何も出来ない、

「とうとうこの日が来てしまった!」

頭の中を、人生の断片が浮かんでは消えていく、

永遠に続くかと思われた時間が止んだとき、

放心したような気分から我に返ったのだろう、

「おばあちゃん大丈夫ですか」

「心臓が止まるかと思いました」

それでも気丈に立ち上がったその老女は

「家は大丈夫でしょうか」

と言いながら携帯電話を取り出した。

「あれ!全然通じませんよ」

何度も何度も携帯を掛け続けていたが、とうとう諦めたらしい、

「新しいモノは肝心な時には役にたたないのですね」

そしてゆっくりと歩き出していった。

私も我が家に電話を掛けてみるが全く反応なし。

いつも持ち歩いているラジオから次々に情報が伝わってくる、

小名浜、相馬、亘理、長沼、仙台・・・

次々に地名が流れてくる、

みんな旅の途中で訪ねたばかりの土地、

港食堂の母ちゃんは大丈夫だろうか、

相馬の漁師のSさんは・・・

二分半ごとにやってくる自慢の電車は全て止まった、

二時間で相馬まで行かれる特急列車も止まった、

もっと早い大型ジェット機も全く役にたたない、

じっと待っている間にも盛り上がった海は

悪魔の意思を持ったように次々と押し寄せては、

逃げ遅れた人々を飲み込んでいく、

現代人が何の疑いもなく受け入れてきた最新鋭の機器は

「一大事」には何の役にもたたないことを思い知る。

そしてその全ての最新鋭が止まった時、時代はアッと云う間に

百年も前に逆戻りしてしまう、

歩く以外に方法がないと・・・

人は「一大事」の時にはっきりと知るのです、

生をより確かにするために、人生に無駄にできる時間など

ないということを。

 『生死事大 無常迅速』

 時は人を待たず すみやかに流れるだけ

自分に今できることは

もうひとりの私がいる、

「そんなことしなくていい」

「誰かがやってくれる」

そんなささやきを蹴飛ばそう!

「今、自分が出来る限りのことをやろう」

そう自分で決めたのだから。

数時間後、辿り着いた我が家で無事を知る、

TVからは冷静な画面がフラッシュバックのように

繰り返されている、なんと言う大惨事!

ワケもなく涙が流れていた。

2011年3月11日夜 記す

Categories: 日々

鎮魂 » « 光 明

2 Comments

  1. 散人さま
    あの日、私は青森の三沢のホテルにチェックインしているところでした。
    ロビーの窓からお隣の鉛筆ビルのような**インホテルが弓矢のようにしなっているのが見えて、怖いはずなのになんだか不思議に冷静な気持ちでした。

    フロントのお姉さんが「大丈夫ですから!!」と言いつつ必死で私にしがみついて、その背中をさすりながら?これって反対じゃない?とふと微笑んでしまった自分にビックリ!
    やはり人間って生きてきた年数によって有事の対応に違いがでるのでしょうかしら。
    ご存じのように・・・けして私は冷静沈着な性分じゃありませんものね
    コンビニに走って形態の電池や食品を買い込み!
    自然災害の時ってホテルに宿泊客を置いてはいけないのでしょうかねぇ?何故かその夜は
    避難所(小学校の体育館みたいでした)に護送されました。なんだか余計危険な場所に感じましたけど。あちこちのホテルからかなりの人数とご近所の家族連れで一杯でした

    二日目はどうにかホテルで宿泊が認められ、夜11時ころには電気がついたのですけど、そこではじめてテレビの画像をみました。
    ?なにこれ?ドラマ?映画?
    ほんとうにそんな気持ちでした。まさか現実の画像だなんて信じられなくて
    今おもえば・・・二晩目にはじめてあの映像をみたのが救いだったのかもしれませんね
    ライブであの津波を見てしまったら・・・・とても怖くて耐えられなかったかもしれません

    だって・・三沢に入るまえに八戸漁港に寄り道してお土産買っておこうかなぁ・・と迷って
    バス時間をみて「帰りにしよう!」と決めたので、あのまま漁港に立ち寄っていたら、まさか誰も私が八戸にいるなどと想像もできず・・探しようもなかっただろうと思います
    紙一重でかわる人間の運命を身をもって体験しました

    毎年この日が来ると色々思い出されます

    • 旅人 散人

      2017年3月13日 — 11:34 PM

      まい様

      あの日から6年、いつもなら旅を続けていたはず
      でした。東京に居て何気なく過ごしていた3月11日、
      大震災の数か月前、太平洋沿岸の漁港を訪ねる
      旅(大洗、いわき、大熊町、南相馬、名取)
      から戻って写真を整理しておりましてね。

      勿論、東京でも腰が抜けるほどの大揺れに
      この世の終わりが来たかと思うほどで、その後の
      TV映像に映し出された訪ね歩いた港町の惨状に
      心が震えました。

      震災からの一週間、東京も灯りが消え、自粛という
      行動に、日本人の過剰反応に驚愕していたことを
      今でもはっきり記憶しております。

      震災から一年後から、南三陸、松島、気仙沼、
      岩手の海岸線と訪ね歩きました。

      復興はまだまだと思う間もなく、台風、水害、御岳山の
      噴火、熊本地震、猛暑、大雪と次から次と起こる災害に
      細長いこの国で生きていくことの難しさを感じない
      わけにはいかないと思うばかりです。

      自然は、時には厳しい現状を突き付けてきます、
      しかし、春になるとこの国を満開の桜が眼を見張るような
      美しい光景を見せてくれるのです。
      どちらも自然の陰陽なのですね。

      あと半月ほどで、今年の桜が見られるかもしれない
      という希望に胸を膨らませてじっと待っています。

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