その道が何処へ向かっているのかは地図を持たない

旅人には皆目わからなかった。

その山野辺の道に迷い込んだのは、桜だけを見ていた

からだったのだろうが、

それにしてもどちらを向いても桜ばかりでありますよ。

近づいてみると桜の下には必ず人の営みがある、古人たちは

自らの生活の場に転々と桜を植えていったのは、桜にこそ

自然の神が宿ると信じていたからに違いない、

そしてその桜はあの世への道しるべのようにその下には先祖たちが

眠っている。

先ほど出会った旅人はつい先月、42年勤めた仕事先を定年退職したと

話してくれた。

「わたしね、団塊の世代の第三陣なんです、

退職したらゆっくりと桜を観る旅に出かけようと決めていたんです」

そして、名のある桜の位置を克明に記した地図を見せながらさかんに

その位置を聞くのでした。

「今日中に六ヶ所全部廻ろうと思うんです」

彼は仕事と同じやり方をどうやら自分の自由になる旅に

持ち込んでいるらしい。

身体の芯まで、合理的にことを終わらせるやり方が身に沁みこんで

いるのだろう、

そんなにあわてて観て廻ってどうするのだろう と お尋ねした、

「その六ヶ所を廻ったら?」

「次はここへ行こうと思ってます」

その別の地図にも克明な桜の位置が記されていた。

「なんだか仕事みたいですね」

きっと彼は旅に興奮してしまったのだろう、

「どうやって旅したらいいかわからなくて」

我に返ったように照れ笑いを浮かべた。

「桜は逃げませんよ、のんびり行かれてはどうですか」

今夜はどうするのかと尋ねると、寝袋をもってきているので

車の中で眠るつもりだと話す顔は遠足に行く子供のようでしたね。

「この辺りの夜は、零度近くまで冷えますから温かくされてくださいね」

そんな会話の後、先を急ぐからと車を発信させていった、

なんだか昔の自分に逢っているようでしたね。

そうだよ、桜は逃げやしないものね、

あの団塊の旅人と別れてから誰にも会わない桜道を歩く。

集落というほどではないが道に沿って家が現れると必ず桜が

目印のように植えられている。

学校帰りの少年が歩いてくるのに出会った、

少年はまったく桜を見上げることもなくいつもの足取りで

通り過ぎていった。

そうか、ここでは桜は見えていても意識の中に残らないのだろう、

それほど櫻は当たり前のようにに生活に根付いているということ

なのでしょうね。

これからはいろいろな人生を一段落させた人々が旅に出始めるかも

しれないな、

ぼんやりとそんなことを考えておりました。

さて、あたしの桜旅は何処へ行くやら、

まあ、気の向くまま、足の向くまま、桜に聞いていきますかね・・・