『甃のうへ』 三好達治
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音(あしおと)空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるほひ
廂々(ひさしひさし)に
風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃(いし)のうへ
詩集『測量船』より
初めてこの詩に触れたのは詩集ではなく、
八千草薫さんのあの優しい声が紡ぎ出す
朗読だった気がします、
もう随分昔のことなのでもしかしたら記憶違い
かも知れませんが
たった一度聞いた言の葉は、想いもかけぬ時に
蘇ってくるものなのですね。
もうあらかたの人々が家路についた
薄宵のほのかな灯りを頼りに
緩やかな坂道を登り始めた。
もう何度も通い馴れた道の奥から
風に乗って聞こえてきたのです、
♪あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
嗚呼、あの時の声が聞こえる
み寺の門前に咲く枝垂れ桜はあの身延山久遠寺から
実生苗として運ばれてきた物語を秘めている。
先代の御住職の声が重なる
「おうおう、今宵も咲きましたか・・・」
その桜樹の下にそっと佇む朧なるをみなごは
山門の中へ消えた。
あとを追うように甃の路を進むと人の姿はどこにもない、
あの二百年の命を紡ぐ海棠が微笑む、
「もしかしたら今そこにいたをみなごは・・・」
「ふ ふ ふっ!」
♪をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
夢をみていたのかもしれません、
もしかしたら、薄宵の桜がよく使う騙し絵を
見せられていたのかもしれません、
でも、何度も騙されてみたくて
春の薄宵になるとこの坂道を登ってきてしまうのです
ほら また聞こえたでしょ
♪風鐸のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうへ
鎌倉 光則寺にて
コメントを残す