一本の桜を眺めながらその女(ひと)は

東京に行った時のことをぽつりと話し始めた。

「あたし団塊の世代よりはずーっと後の世代だからね」

と何度も念を押しながら、それでも初めて東京に

行った頃は、この辺りでは百円札が当たり前で

百円硬貨など見たこともなかった時代だったという。

「まだ頬が真っ赤な女学生だったけど、買い物するのに

百円札を出すと田舎者と馬鹿にされるんじゃないかと、

わざわざ百円硬貨に両替して持っていったのさ、娘心にも

田舎者に見られたくないっていう見栄があったんだね」

その女(ひと)は遠くを見るような目で懐かしそうに

東京から来た旅人に昔話を語ってくれた。

「それで、東京はどうだった」

「あんな騒々しいところには住めないと思ったさ、だから、ほら

今も此処で暮らしているのが何よりの証拠。」

「確かに此処は美しいものね」

「それはたまに来る旅人のセリフよ、冬は寒いし、直ぐに噂は立つし

嫌なことばかりが目に付くんだから」

「それは何処に住んだって出てくるのは愚痴ばかりさ、田舎も都会も同じだよ、

現状に満足なんて出来ないから明日はいいことがあるに違いないと思いながら

今日を過ごしているんだよ」

何だか話が深刻になりかけた時、急に思い出したようにその女(ひと)が

「桜探していたんでしたね、そう此処にも美しい桜があるんだ、その桜

見て行ってよ、『地蔵櫻』って言うんだ」

そういうと詳しい道順を教えてくれた。

「その桜を見たらきっとこれからは貴女を思い出すだろうね」

「都会の人はすぐそういう軽口を言うんだから・・・」

その女(ひと)は、ひとつため息をつくと年老いた母の待つ四辻へ

戻っていった。

「この桜に違いない、美しい桜だ」

独り言を言いながら見上げていると、一台のワゴン車が止まった。

運転している人も、後から降りてきた人もみな老人ばかりだったが

みんなすこぶる元気がいい、

「会長さん、やっぱり桜はきれいだね」

そう呼ばれた会長さんはカメラを取り出すと、皆に桜の前に並ぶように

声をかけている。

どうやら記念写真を撮るのだろう、周りを見回しても私以外に人はいない、

「私がシャッター押しましょう」

と申し出ると、すいませんねと口々に皆で何度も頭を下げ、それから

桜の下に整列するのでした。

「それじゃいきますよ、表情が硬いですよ、ハイ ポーズ! カシャ!」

何だか緊張が写ったようでしたが、それでも皆さんで今度は何度も

お礼の言葉が続くのでした。

その後、私のカメラでも撮らせていただいた。

写真を送る約束をすると、その会長さんはやおら名詞を差し出すのです、

都路町老人クラブ連合会長 渡辺金吾

「都路村からいらしたんですか」

「都路をご存知でしたか、今は合併して田村市都路町なんですよ」

「もう20年くらい前ですが地図でこの麗しい都路(みやこじ)という

名の村を見つけて、どんな美しいところだろうかと訪ねたことがあるんですよ」

「そうでしたか、それで都路の感想は?」

「美しい自然以外は何もなかったような記憶が・・・」

それを聞いていた皆さんが大笑いを始めた、

「今も、20年前と何も変わっていないですよ、ただみんな年寄りばかりに

なりましたがね」

会長さんは、先の戦争で、3月9日の東京大空襲の際、東京深川で襲い掛かる

B29に向かって高射砲を撃っていたと話してくださった。

「それじゃお歳は80近いのですか」

「もうみんな年寄りばかりなんで、若者に頼るわけにはいかないんですよ、

だからこうして一日でも長く元気でいられるように年寄り同士で励ましあって

いるんですよ」

今日は老人会の寄り合いの後、十数キロの道のりをこうして車に揺られて

この桜を見に来たのだという、運転している会長さんも、他のみなさんも

何処から見ても老人なんですが、その笑い声だけは若者に負けない力が

ありました。

「これからお帰りになるのですか、写真は必ず送りますからね」

「ぜひ都路にもいらしてください、大歓迎しますから」

そんなお誘いに、何度も頷いておりました。

「それじゃ、さよなら」

そしてそのワゴン車は来た道を戻って行くのでした。

私は車が見えなくなるまで手を振っておりました。

やがて元の静けさが戻ると、桜の下に佇む地蔵様に気づきました。

櫻と地蔵さんが人を惹きつけて、縁を結んでくれたんですよね。

人との出逢いはまさに一期一会、

次の出逢いはないかもしれないと思えばつのる人の縁でございます。

櫻も美しいですけれど、人の笑顔はもっと美しいとあらためて

感じた櫻旅の途中です。

2007年4月28日 地蔵櫻の下で記す。

あれから4年後のあの大震災と原子力発電所の爆発で

麗しき都路の名を聞く、

今、都路の記憶を思い出し必ず訪ねて行くことを願っています。