なぜ夕暮れにこの町に佇んでいたのだろう、

私の旅は目的を持たずで成り行き任せのまま

行き着いた町を彷徨うというのがほとんど、

今日も利根川の辺りで夕陽を眺めていた、

さあ、そろそろ帰るとするかと車を走らせたのに、

行く先が反対方向に向かっていた。

それは、誰かが呼んでいるとしか思えなかった。

その町に着いた時、

「あっ!」

と思い当たったのです。

もう30年ほど前のことになってしまったが、

自分が何者でどこからきたのか、という疑問に

ぶつかったことがあったのです。

父のふるさとを訪ねた折、長姉を訪ねた、

なんとなく昔の話を聞きたかったのでしょう。

その時、義兄が

「そういう時はルーツを調べてみるといい、

 オレもそんな気になった時があって

 自分のルーツを調べたんだよ、

 沢山のご先祖様が現れて全ての疑問を吹き飛ばして

 くれたんだよ」

そして、そのルーツの調べ方を教えてくれた。

町役場、村役場での戸籍の取得、当時は個人情報も

現在ほど規制がなく、

家系を調べる以外に使用しないと言う誓約書を提出する方法も

義兄が教えてくれた。

それからは、義兄も手伝ってくれて、古河の図書館に祖父のことを

書いた文献があること、

祖母の母(代々我が家は女系の家系であった)の姉は

古河藩の家老に嫁していたこと、

その墓が見つかったことなど、その都度、詳しい書類とともに

手紙が送られてくるのでした。

ある日、義兄を誘ってその古河の家老の墓参りに行った、

それはそれは見事な墓でかつての武士階級の凄さが

ひしひしと伝わってきて、二人で口を開けて黙って

じっと見つめるだけでした。

義兄とのやり取りは十年以上も続いた、

父の故郷を訪ねる度に義兄との情報交換は何よりの

楽しみになっていたのです。

そんなある日、久しぶりに義兄を訪ねると、

随分、やつれが目立っていた。

「どいしたの、身体でも悪いのかい」

「もう判る様にまでなってるんだね、」

そういうと、実は癌に侵されていることを話し始めたのです。

「あと一年で喜寿なんだ、なんとか其処まで生きていたいんだよ」

まるで、動揺など微塵も感じられないほどいつもの家系の話をするように

笑顔までみせて、そう話した。

「大丈夫だよ、あんなに沢山のご先祖様が守ってくれているのだから」

「そうだよな、そうだよな」

義兄は何度も頷いていた。

『息子夫婦、孫達に囲まれて喜寿を祝うことが出来ました』

そんな嬉しそうな手紙が届いて僅か一月後、長姉から

「息をひきとったよ」

と涙の電話を聞いた。

駆けつけた時、義兄は穏やかな眠るような顔、

何度も何度も流れる涙で

最後のお別れをしたあの日、

「向こうへ行ったら、祖父、祖母、曽祖父、曾祖母

 そして沢山のご先祖様に必ず逢えるようにその道を

 開いていて欲しい」

と何度も義兄に心で話しかけていた。

「やっぱり義兄(にい)さんだったのですね」

二人であの墓を探しながら歩いた古河の町、

今もはっきり覚えていますよ

一緒に食事した食堂もあの日ままありますよ

夏の暑い日盛り、自転車で利根川の土手を走り、

長井戸沼干拓のポンプ小屋を見つけ出してくれたことも

みんな昨日のように思い出しています。

間もなく大好きだった桜が咲きます、

花を持って逢いにいきますからね、

ショーウインドーに写っていた義兄の嬉しそうな顔が

すーっと消えた、

あの食堂でひとり食事をする。

あの時の カツ丼の味が蘇った旅の途中です。