北陸の古都への冬の旅はどんよりとした重い雲が立ち込め、

知らず知らずのうちに心が内向きになっていく、

降りだした雪は湿り気が、重く木々の枝をしならせてしまう、

この町の人々はその自然の中で木々にも優しい眼差しを向ける、

町中の庭の木々にもあの独特の雪つりが、冬が何時訪れても

いいように万端整えてじっとその冬を迎えるのです。

表に出ることが控えられ、家の中での生活が当たり前に

なるにしたがって、あの独特の文化が磨かれ始める。

謡曲、茶道、華道、筝曲、三弦、・・・

表に出ることなく町の奥で静かに伝えられる文化、

京都の公家文化とも、江戸の武家文化とも異なる

風土が守り通した湿感のある文化というのだろうか、

その特色が際立つのがこの町の冬なのです。

そんな冬空を期待して何度も訪ねた金沢の町、

冬の金沢を満喫していたホテルの部屋で、何気なく手にした

観光案内に冬の能登がありましてね、

まだ鉄道が輪島まで繋がっていた時代でした、

金沢駅から輪島までその列車に乗ったのはいつもの気まぐれ

だったのかもしれません。

しかし、同じ石川県内なのだからと呑気に構えて出発した列車が

進むに従って車窓の景色は厳しさを増していくのです。

お尻が痛くなるほど乗り続けた列車が輪島駅に着いた時は、

その余りの寒さに身体が凍り附くようでしたね。

駅前のタクシーにどこか冬の能登を観たいと告げると

親切な運転手さんは、

曽々木海岸の波の花と平時忠の末裔とされる時国家の豪壮な邸宅を

案内してくれましてね。

その屋敷の畳の上を歩いた時の余りの冷たさの衝撃は今でも

足の裏が覚えておりますよ。

能登とは能登半島の山並みを歩いてくるにはあまりにも遠すぎる、

海から船でやってくるしか方法はないと実感したのは真冬の能登を

体験したからでした。

それからは、桜の時期の金沢訪問、秋の八尾風の盆、などの機会を

捕まえては能登を訪ねる旅が続きましてね。

輪島に知り合いができたのも、旅の当然の結果だったようで、その知人から

能登の文化、祭りを教えていただだいたのです。

そんな祭りの中で知ったのが、石川県無形文化財に指定されている

御陣乗太鼓だったのです。

天正4年(1576年)越後の上杉謙信は七尾城を攻略した後、

奥能登平定に駒を進めた、名舟村へ押し寄せてきた上杉勢に

非力な村人達は樹の皮で仮面を作り、海藻を頭髪とし、太鼓を

打ち鳴らしながら寝静まる上杉勢に夜襲をかけたことがその

発端になるという御陣乗太鼓、

現在は毎年夏名舟町奥津姫神社の大祭に感謝を捧げながら

太鼓を打ち鳴らしている。

その御陣乗太鼓が今年は東京ドームにやってきました。

まるで幽霊を思わせる奇怪な面をつけた男達が唸り声を上げながら

太鼓を打ち鳴らす姿は、あの厳しい真冬の能登の波の音のように

何度も何度も打ち寄せてくるのです。

太鼓の音はやがて能登の地へと引きずり込んでいく。

あの強烈な寒さを乗り越えて生きる能登人の耐え忍ぶ風情に怒りが

巻き起こった時の凄まじさをじっと聞き入っていた祭り旅の途中です、

ああ、また能登の旅がしたくなりました・・・