旅の途中で眺めた空は、それはそれは美しいと感じておりました。

ところが、旅から戻っていつものように下町の路地で見上げた空が

とても新鮮で清々しいのです。

本当は空はいつだって、どこで眺めたって美しいかったんですよ、

それを感じなかったのは、ささくれ立った自分のこころに原因が

あったということだったんですね。

朝の商店街はまだ昨日の余韻を引きずっていると思っていたのに、

何の迷いも無い朝の陽射しが眠りの町を照らし出している。

「おはよう!今日は随分早いね!」

朝の珈琲を飲む店で、スポーツ新聞を見ていたマスターが笑う。

「マスター!今朝の空みたかい、東京にもあんな空があったんだね」

「そら・・・、そういえば何年も見てなかったな、

 毎朝、珈琲入れてばかり いたからね、」

「ちょっと見てきなよ」

マスターはカウンターを抜け出すと、ドアーをあけて表へ出て行った。

「いやいや、あんな綺麗な空を見たのは久しぶりだったよ」

毎日生活に追われてると、空を見上げることも忘れているんだと

目を細めながら戻ったマスターは

「そういえばさ、子供の頃は空ばかり眺めていた気がするよ、

 大人になると、当たり前のことって、気づかなくなるし
 
 考えることもしなくなるんだね」

「上州の空はね、山の上にも田圃や畑の上にも

 見渡すかぎり空ばかりなんだよ」

家から一歩でればそこら中、空ばかりなんだと話すと

「しばらく顔を見ないと思ってたら旅してたのか、

 そういえば オレも旅してないな」

「でもさ、旅から帰ってくると、下町の細長い空にも

 想いが詰まってる気がしたよ、生活がそこ等中に

 散らばってる分、なんだかせつない気分になったりするんだよ」

「人の顔ばかり眺めて生きてると、たまには人の居ない山の中でも

 いって見たいと思うんだけど、そういう静かな場所に居るとやっぱり

 ごみごみした自分の町が恋しくなるだろな」

「それって結局、ふるさとが持っているせつなさなのかもしれないよね」

「ガキの時からこの路地裏で生きてきた人間には、このごみごみが

 あたりまえなんだよな最近、この町が居心地いいんだよ、それって

 歳とったってことかな」

「それって大切なことじゃないの、ふるさとは川や山があるところ

 ばかりじゃないよ、ごみごみした路地の居心地よさはこの町がふるさと

 だっていう証でしょ、後は子供達に何を残していくかなんでしょうね」

まもなくこの路地裏の町にも人のざわめきが始まるだろう、

ほんの一瞬かもしれないが、せつなさが通り過ぎていった東京下町の

朝のひとときのこと。