農耕民族であった日本人の祭りといえば、「五穀豊穣」を祈る祭りが

当たり前でした。

しかし、農耕に携わらない人々もまた災害や疫病に悩まされ、

神に祈ることが必要だったのです、特に人の集まる都市では

医療未発達な時代では疫病の流行が命に係る一大事だったことは

容易に想像できるでしょう。その都市型の夏の祭りとして、

京都の神泉苑で初の御霊会を行ったのが祇園祭の最初だったとか、

六十六の国に分かれていた夫々の地域に瞬く間に祇園信仰が広まったことは

それだけ災害、流行病、による死が身近にあったということなのでしょう。

牛頭天王を祀る「祇園御霊会」は明治維新による神仏分離令により仏教色が

排除され「祇園祭」としてその後も庶民の信仰として今に続いているのです。

さて、夏祭りといえば祇園祭というほど全国に広がった祭りを訪ね歩いて

おりますが、

何しろその数の多いこと、いったいどれ程の数があるのだろう、と暇に明かして

数えてびっくり、関東に絞ってみただけで正確な数字は確かではありませんが、

 栃木  約35箇所、

 群馬  約41箇所

 埼玉  約310箇所
 
 茨城  約120箇所

 千葉  約33箇所

 東京  約60箇所

 神奈川 約57箇所

本場の京都が約31箇所に比べると、関東はかなり多いことに

なりますね。

それに、最近では夏の祇園祭は土日に集中するため、このままでは残りの

人生ではその半分も訪ねることができないことが判明いたしましてね。

そこで、大きな祭りはほとんど目にしてまいりましたので、

どんなに小さな村の祭りでもいい、奇祭とされる祭りがあったら訪ねて

みようと方向を変えてみました。

別段、祭りを観なくても人生は変わりはしませんが、日本人が日本人として

生きている姿を見つめることは、お金では得られない大切なモノに

出会える気が(今までの経験からも)してならないのです。

そんな気持ちでいた時に、連絡が入りましてね、

「珍しい祭りだから行ってみるといい」

こういうお誘いは本当にありがたいことです、

しかし、祭りは冷房の効いたホールで遣るわけはありませんでね、

夏本番の猛暑のなか、意を決して向かった先は

霞が浦の東岸、その名も懐かしい行方町なのです。

三十数年前、母方のルーツを探して辿りついた町 行方町、

行方という地名は常陸風土記に出てくる昔からの地、

 なめがた と読むのです、

霞ヶ浦がまだ海だった大昔から丘陵地であった行方には人の生活が

あり続けていたのです。

この霞が浦に沿った行方に転々と続く集落があり、そこには牛頭天王を祀った

祇園社が残されているのです、

今は全て八坂神社と名を変えておりますが、集落ごとに夫々の祭りを持ち、

その遣り方も中々見ごたえがあるというのです。

(まるで海のような霞ヶ浦)

南から

 天王崎・八坂神社

 橋門・八坂神社

 五町田・八坂神社

 荒宿・八坂神社

さてどんな祇園祭に出会えることか・・・

それでは常陸路祇園祭りの旅へまいりますか。