旅の途中

彼岸の桜

明治・大正・昭和・平成と四つの時代を

生き抜いた親父は長寿を全うして彼岸へ渡っていった。

同じ時代を生きた母も、その五年後に彼岸へ、

見送ったのは二人とも桜が満開の頃でした。

春の彼岸が来るたびに二人の元へ通ってもう

20年が過ぎました。

桜が咲くたびに元気だった父と母を思い出す。

二人が生ききった歳までまだだいぶ時間が掛かりそうです、

考えてみると、アタシが桜にのめり込んだのは、

満開の桜の下でそれぞれの親を見送ったことに

あるのかもしれない。

今年も彼岸に早咲きの桜が咲いている。

そういえば、父も母も桜が大好きだった、

この桜もきっとあちら側から眺めているだろう、

「おとうさん、ほら桜が咲いていますよ」

おふくろの言葉に、桜を見上げる親父の顔に

笑みがこぼれているだろうか。

こちら側から眺める息子の顔だって綻んでいるよ。

親父とおふくろにも若かった時代があったはず、

それでも、

利根川の大水害、

関東大震災、

そして東京大空襲、

五人の子供を育てるに追いまくられ

ゆっくり桜を眺める間もなく毎日追われるような日々でしたね、

今はどうですか

そちらはもう穏やかな日々が続いていますか・・・

生きるに精一杯だったあの頃を忘れてゆっくり

眺めていって下さいね。

今年も桜が咲いています。

(五年前に記した記事を読み返しています、

 お彼岸はさまざまなことを思い出す日かも

 しれませんね。)

Categories: 日々

催花雨(さいかう) » « 哲学の花

2 Comments

  1. 散人さま
     ご無沙汰いたしておりました
    相変わらず浮き世の無粋な諸々に忙殺される毎日をおくっておりますと、散人さまの旅をのぞき見するのがなによりの気分転換になっておりますありがとうございます。
    いよいよ桜旅ですね!
     私の母も4月6日満開の桜におくられて旅立ちました
    沢山の子どもをのこし、末っ子の私はまだ10歳・・・心をのこしての旅立ちだったことでしょう
    上の姉二人は嫁ぎ、兄は金沢大学の卒業し、防衛大学への入校が決まっていましたが、が、その下にまだ4人の娘がいましたからさぞ後ろ髪引かれる旅立ちだったことでしょう
    今なら・・・その親心が痛いほどわかります
    しかも、朝倒れて夕方にはそのままという何とも切ない別離でしたから。
     私はどうしても桜をみると泣けてしまいます
    あまりにも衝撃的だったのか、私には母の葬儀の前後の記憶がほとんどありません
    記憶って・・・ある部分欠落することがあるのですね
    唯一、美しくも儚い桜の花びらが降りしきる中、車に揺られながら進んだ火葬場への桜並木道だけが異常なまでに鮮明な記憶として残っているだけです
     桜は・・・私のなかでは黄泉の国と私を繋ぐ密かなトンネルかもしれません
    【幻の琴師】の取材で訪ねた葛原勾当さんのお墓にも花吹雪が舞っていました
    【朧の刻】でも、要藏墓を訪ねたとき・・・・満開の桜が迎えてくれました
    私があちらに逝くのもきっと・・・・桜の時期なのかもしれません

    ごめんなさい、散人さまのご両親さまの大切な思い出の美しい桜のお話になんだか妙なことを書き込んでしまいましたお許しくださいませね

    • 旅人 散人

      2016年3月23日 — 2:08 PM

      まい様
      そろそろ御城下も咲き始めるころですね、
      何度も通った金沢の桜が思い出されます。
      桜が咲くたびに縁ある人との思い出がふつふつと
      湧き上がってくるのは、桜が持つ情念がそうさせるので
      しょうかね、

      鬼姫様が桜模様のきものに着替えましてね、
      実はこの桜模様のきものは母上の形見なんです、
      彼女も母上が黄泉に旅たたれた歳にとうとう成られたのです、
      桜の下で声をかけるとこちらを振り向いた瞬間、
      母上が現れたのかと思わず息を呑みました。
      母と娘の関係は、こちらが生きている限り切れる
      ものではないようですね。

       さまざまのこと思い出す 桜かな 芭蕉

      まさに芭蕉翁の想いが身に降りかかったようでした。

      もう以前のように遠くまで桜を追いかけられなくなりましたが
      その分、深く味わうことで さまざまなことを感じながら
      密やかに桜旅を続けたいと願っております。

      そうそう、先日向島の白鬚神社を訪ねたおり、古い句碑を
      見つけましてね、

       「人恋し 灯ともし頃を 桜ちる」

      一茶と同じ時代を生きた加舎白雄(かやしらお)の句碑
      だったんです、今まで何度も訪ねていたのに初めて気付きました、
      白雄は山頭火の前に放浪していた俳人でしたが、向島桜堤あたりの
      喧騒をじっと見つめていた姿が浮かんでまいりました。
      こんなに切ない句に気付いたのも精神が落ち着いてきたからでしょうか、

      年を重ねるということもまんざらではない気がしてまいりました、
      前ばかりみていると気付かないことが沢山あるのでしょうね、
      立ち止まる旅もまた楽しいものと気付かされた今年の桜で
      ございます。

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