「ほおずきを水で鵜呑みにすると、

大人は癪を切り、子どもは虫の気を去る」

昔から神社やお寺のご縁日には功徳があるという

言い伝えがありまして、

一度お参りすると百日分、千日分の功徳があるというので、

ご縁日はどこも押すな押すなの盛況なのでありました、

家康公が江戸に入ると、当時一番恐れていた火事を防ぐという

意思を伝えるために火除けに霊験あらたかな京都愛宕神社の

火産霊命(ほむすびのみこと)の分霊を祀ったのが

江戸愛宕神社の始まりだとか、

芝増上寺を徳川家の菩提寺にしたこともあり、此処の裏にあたる

高さ26mの丘の上に愛宕神社を創建したのであります、

「火事と喧嘩は江戸の華」

なんて揶揄されるほど江戸の町には火事が多かったのでして、

あの振袖火事といわれた明暦の大火では江戸の半分が消失して

しまいましてね、

江戸城の天守閣まで燃えてしまったのですよ、

それに愛宕の神様までもが家を焼かれたとなってはさぞかし

驚かれたことでしょうね。

しかし、そんなことでは挫けないのが神様でして、再三再四再建され

江戸町民の信仰を篤く受け続けていたのでありますよ。

さてその愛宕神社の水無月のご縁日は毎年6月24日、

この日にお参りすると千日分の功徳がいただけるというので

昔から随分賑わい、

境内に自生していたほうずきを売り出したらこれがまた評判を呼び、

江戸のホウズキ市の初りになったとか。

こういう人気商品をうまく取り込んだのが浅草の観音様、

毎年7月10日に ホウズキ市を開いてその功徳も

四万六千日分のご利益ありと宣伝したのですから

どちらが本家か判らなくなりましたよ、

全く浅草っ子(自戒を込めて)はすばしっこいですよ。

その浅草の四万六千日で子供の頃からホウズキ市をお参りして、

一度で126年分の功徳をもう何十回も受けてしまいましたでしょ、

そろそろ仁王様に

「お前はどこまで欲たかりか」

なんて怒鳴られそうで、今年はご本家の愛宕神社へお参りに行こうと、

やってきたのでございます。

曲垣平九郎と聞いてももう若い人はお判りになりませんでしょ、

馬でこの急階段を上り下りして境内の梅の枝を将軍家光公に献上したという

故事にちなんで 出世の階段 と異名をとる愛宕神社の急階段を

久し振りに登ってみましたよ、

若い頃は、下から上まで86段の急階段を一気に登れたものでしたが、

やれやれ今では途中二度の休憩を挟んでやってまいりました

愛宕神社本殿前、

半年分の積もり積もった罪穢れを祓っていただける

茅の輪まで設えてありますよ、

前回のお詣りは平日の雨の中でしたので86段の急階段を登って

きても人影はなく

 「水無月の 夏越の祓する人は 千歳の命 延ぶというなり」

と唱えて、そんなに長生きしてもせん無いか、なんて反省しながら

ゆっくりと茅の輪をくぐり本殿へ参拝、

神官さんにお祓いを受けるとなんだか肩のあたりが軽くなった気分に

なったものでしたが、

今年はご縁日が土曜日と重なったため、参拝客が十重二十重と

順番待ちにアタシは遠くから手を合わせるのでありました。

さて、太郎坊と稲荷神社にも手を合わせ、お目当ての 

ホウズキ鉢を所望、

と思ったら「完売御礼」と鉢の姿は消えておりました。

今年もあの急な階段を登れただけで良しといたしますか、

帰りもあの階段をと下を見下ろして足が止まりました、

登る時は感じなかった恐怖が下りでは足が震えましたよ、

足でも滑らせたら、確実に命はありませんですよ、

慎重に手すりに掴まりながらゆっくりと降りてまいりましょうかね、

それにしても、此処を馬に跨って登り降りした曲垣平九郎とは、

どんな根性してたのでしょうかね。

今年もこの急階段を登りきれただけでも有難いことですな、

これも功徳というのかもしれませんね。

来年は登れるかな・・・

(2017年6月記録)