「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花
    主なしとて 春な忘れそ」

    菅原 道真

冷たい風に吹かれながら旅を続けていると、

そこはかとなく漂う梅の香りに、

ようよう春の近いことを知る、

昨年の秋、はるばる九州太宰府を訪ねた折

来る年こそ菅原道真公を訪ねる旅をしようと

決めておりましてね。

その道真公の縁は湯島や亀戸だけではなく深く常陸の地と

係わっていることを数々の旅する中で気付かされて

いたのですよ。

道真公の縁旅はやはり梅の香りに誘われることが相応しい

と、まだ寒風の吹きすさぶ坂東の地を旅いたします。

その冷たさとはうらはらに坂東の地は雲も近づかぬ

青空が広がっている。

行き交う人と出会わぬ寒中の旅は、どうやら心の奥へと

向かっていくようです。

せめて早咲き梅の香りに出会えないか、

そんな手探りを続けているとかつて夏祭りの折、

立ち寄った神社の境内におりました。

「ああ、此処は道真公を祀っていたのですね」

撫ぜ丑の頭の辺りをそっとさすって見上げれば、

馥郁とした梅の香り、

天満宮にはやはり梅がなければ様になりませんね。

訪ねたのは節分の前日でした、暦の上ではまもなく春です、

そう思えば目の前の木々や草草もそこはかとなく春を感じさせる

ものですな。

折から参拝に来られた老人から不思議な話をうかがった、

「常陸には道真公の墓所があるのですよ」

道真公は確か大宰府で生涯を終わられたはずでは、

「常陸と道真公ですか・・・」

その場所をお尋ねすると、それは平将門が波乱万丈の生涯を送った

その場所と重なるのです。

道真公は延喜3年(903年)2月25日確かに大宰府で59年の生涯を終えた、

後の人々は、道真公は怨念の塊のようにその祟りを恐れ慄いたと云う。

その道真公と入れ替わるように常陸野に現れた平将門、

その二人が、怨霊の代表にまで祀り上げられたことには深く常陸の存在が

あったのだろうか、

「道真公の墓所とは何処ですか」

「大生郷というところです」

お礼を言って、その天満宮を後にする。