娘が新たな人生を始めるために選んだのは沖縄生れの

青年だった、新たな家族の絆が結ばれることは新たな

人の縁が広がるということでもあるのです。

新しく生まれた親戚の中に唄者玉城貞子さんがおられた、

十年以上前のことになるのですが、大阪で貞子さんの

コンサートがあると連絡をいただき、妻と娘夫婦三人は

大坂まで聞きに出かけた。

帰ってきた三人は口をそろえてその唄の素晴らしさを

伝えてくれたのです。

その翌年、東京都八王子市の南大沢文化会館交流ホールで

貞子さんの島唄ライブが行われるというので、今度は四人で

駆けつけました。

情感を唄に託して伝える唄者の姿に、沖縄を意識するだけではなく

人間玉城貞子に魅入られてしまったのです。

人生とはどのように変化していくかは、本人を含めて予想不可能な

ものだとは歳を重ねてくると理解できるものですが、

沖縄生まれ沖縄育ちの貞子さんの人生にも一大変化があったのです。

(岡山育ちの「島唄兄弟」)

沖縄を離れ、岡山での生活が始まったのです、

時々、便りは聞いておりましたが、CDを聴きながら、沖縄のことがニュースに

成る度に、今貞子さんはどうしているだろうかと思う日々が続いておりました。

久しぶりに東京六本木で島唄ライブをやると聞いた時は、岡山に拠点を移して

も沖縄の島唄を歌い続けていることに安堵したのです、と同時に、未知の土地岡山で

沖縄島唄のタネを巻き、育てる活動を新たに始めていたのですね。

六本木の島唄ライブはそれはそれは楽しく、貞子さんの優しさの溢れた話術と

あの歌声が健在であることを知り涙が溢れるのでした。

さらに、その舞台に登場したのは長年闘病生活を続けていらした

諏訪和男さんでしたね。

貞子さんの三線と歌声に反応を見せた和男さんは、記憶障害が

少しづつ戻り始めていたのです、医者も首をかしげるその事実を、

和男さんは貞子さんと一緒に唄うことまで可能になっていたんです。

唄の持つ力を目の当たりにしたのは私らだけではなかったでしょう。

あのライブからいつの間にか時が過ぎていきました、

再び東京六本木で島唄ライブ、五年の月日が過ぎていたのですね。

~東京に想(うむ)いを染(す)みら~

   和男さん追悼

の文字、あの和男さんが亡くなっていたのか・・・

貞子さんは静かに歌い始めた

「忘れないで」

  忘れないでね ふるさとのことを

 淋しいときには そっとふり返り

ふるさとの歌を  口ずさもう

くじけないでね 都会の冷たさに

  辛いときには そっと手を胸に

ふるさとの母を 思い出してね

忘れないでね ふるさとで待つ人を 

 青い大空も きれいな海も

あなたの帰る日を 待っているでしょう

人生の無常を感じながら流れる涙をぬぐうことしか

できません。

(今宵が初舞台の「島唄姉妹」)

でも、悲しんでばかりでは一歩も前へ進むことはできません、

貞子さんは岡山で沖縄島唄のタネを巻き育てていた証を

見せてくれました。

岡山で育った「島唄兄弟」、そして今夜が初舞台だという「島唄姉妹」、

ヤマトンチュウなのだからこれくらいで などという妥協は貞子さんには

無かったようです、岡山生れのメンバーはもしかしたら沖縄生まれだったのでは

ないかと思うほど、沖縄の言葉を唄心を理解し、しっかりと身につけて

唄ってくれたのです。

貞子さん、十年という月日はこんなにも素晴らしい人々を育てるのですね。

貞子さんの唄の原点だった「えんどうの花」、

そして沖縄の昔から伝わる「中城しほらい節」

そして、そしてあの胸を締め付けられる「冬の夜雨(ゆあみ)」

最後は沖縄から駆けつけてくれた おきなわ結舞踊みなみのみなさんと

「泡盛バンザイ」 「イヤサッサ踊らな」

に合わせて会場が揺れるほど全員で踊るのでありました。

    「平和の花」 作詞・作曲 玉城貞子

  愛らんらんと 胸に輝けば

  人は皆 手をさしのべて 心つなぐ

  愛し愛され 愛し愛され 

  ほら 平和の花が咲く

今宵、貞子さんを通して岡山の方々とのご縁が繋がりました

「さよならはまたね」と何度も繰り返した

唄の旅の途中でございます。

HP 沖縄三線 玉城貞子の世界

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