ホテルの窓のレースのカーテンに差し込んだ光は

今日一日がさわやかな日になることを証明するように

輝きを増し始めていた。

朝食前に庭に下りてみた。

湖を吹き抜けてきた風は、その湖が山上にあることを

気づかせてくれるほどに冷たく、思わず身震いをしておりました。

丁寧に刈り込まれた躑躅の庭はこの時期に訪ねた者だけに

その素晴らしい表情を見せてくれるのです。

「おはようございます」

年老いた母親をこの美しい庭園に誘ったその娘さん、といっても

彼女自身も私と同世代かもしれない は子育てを終え、母と娘の

旅をこの美しい景観のホテルに決めたその喜びを噛み締めるように

立ち止まってはその美しさに感嘆の声をあげておりました。

「清々しいお天気でよかったですね、

実はこの庭の沢山の躑躅の中に

一本だけ記念の躑躅があるんですよ」

「まあ、どんな記念なのでしょう?」

私はその躑躅の前に案内いたしました。

2000年に植樹されたその記念樹の脇には

小さなプレートがあり、そこにはこう記されているのです。

『結婚50年記念  ○夫、○子』

「十七年前ですのね、このお二人は今もお元気なのかしら、

 私の母は45年目に夫を亡くし、私は40年目に未亡人、

 未亡人の二人旅ですわ」

と、微笑を浮かべてそう答えられた。

「そうでしたか、それは残念でしたね、私は今年の10月で

50年でしてね、でもあの記念樹を初めて見たときはあと十7年か・・・

なんて思っておりましたが日々の積み重ねは気が付いたら50年が

目の前にやってきたんです」

「人生って中々うまくいかないものですわ、幸せが永遠に続くと

 思っておりましたのに、ある日突然予期しないことが訪れるのですもの

油断されてはいけませんよ」

「そろそろ朝食の時間ですね、朝のこの場所は以外に冷え込むのです、

 中にお入りになりませんか」

「母にはこのホテルが父との一番思い出の残る場所だったものですので」

「どうぞお元気で、またお目にかかれたらうれしいですね、実はこのホテル

 50年前の新婚旅行で来たんです」

 そう応えると、その年老いた母親は嬉しそうに何度もうなずいて

くれましてね。

一人の朝食を済ませると、ロビーで本を読み始めた。

人は一人になると何をよすがに生きるのだろうか、

そんなことをぼんやり考えていると、あそこにも、ここにも

一人旅の大人が思索の時を過ごしていた。

自動ピアノからショパンが流れる・・・

(2017年5月記す)