秋草に置く白露の飽かずのみ

相見るものを月をし待たむ

  大伴家持  万葉集第二十 4312

この和歌は 大伴家持が七夕の夜、天の川を見上げながら

詠んだといわれている和歌ですが、かつては七夕といえば

秋の風情だったようです、

現在の新暦に当てはめると七夕といえば真夏のことですが、

なんだか 秋草に置く白露に儚さを表現しながら

月を待つ、いや会えなかった女人を待つ風情としては

白露の候の方がしっくりくるようですよ。

七月七日は七夕、もちろんアタシの生まれた日でも

ありますので特別な感慨を持つのですが、

昔の暦では七夕は秋だったんですね。

今年最後の節句九月九日といえば新暦の白露の候、

いよいよ秋を感じる重陽の節句ですが

なんだか家持さんが七夕を詠んだ季節と一致するのでは

ないかと調べてみると、

今ではほとんど行事は行われなくなりましたね。

かつては菊に長寿を祈ることが行われていたのですが、

今や世界一の長寿国になってしまったために、長寿を祈る

必要が無くなってしまったのかもしれませんね、

それに、余りに季節感が異なってしまった新暦によって

菊も咲かない九月九日は忘れ去られてしまったようです。

若者に

「九月九日は何の日か知ってますか」

と尋ねたら

「ああ、救急の日ですよ」

といともそっけなく答えましてね、

冗談かと思ったら、東京消防庁が真顔でそう決めたのだそうですよ、

あーあ、日本の季節はもうバラバラでございます。

もう暦があてにならないのなら、せめて身体が感じた季節を

味わうしか方法はありませんでしょ。

季節の先取りをするには、山に向かうしか方法はありません、

山は多分もう秋が忍び寄っているはず、

やってきたのは夕暮れの山の湖畔、

気温20度、もうどっぷり秋に取り囲まれておりますよ。

平日とあれば、有名観光地でも人恋しくなるほどの静寂の中、

集く虫の音が遠く近くで鳴き止まず、

「ああ、今はもう秋・・・」

と大伴家持の気分を満喫するのでありますよ。

小さな波の音に耳を傾けて夕空を見上げれば、

天の川こそ見られませんがあたりは夕暮れ迫る白露なるかな、

湖畔に吹く風は秋そのものでございますな、

今日の最後の光が一瞬だけ湖面を黄金色に染めると

急に半袖が涼しさを通り越して寒さを感じるのです。

まるであの肌が痛くなるような猛暑の夏はもうはるか記憶の彼方へ

身体は正直ですよ、もう戻らない夏を惜しむ気になっているの

ですからね。

秋には秋の過ごし方があるでしょ、

そう、ここはたっぷりとした湯量の温泉があちこちにあるのです、

夏雲が秋の空に溶け込んでいく様を見届けると、

一目散にいつもの温泉へ、

飛び込んだ湯船に人の気配なし、独り占めの秋を手足を思い切り伸ばして

身体中で受け止めている。

ああ、日本人でよかった・・・

(箱根にて)