亀有の香取神社を後に同じ葛飾区内を南に3kmほど

歩いて立石へ、

今や東京の下町の代表のような町で、アタシも年がら年中

理由も無いのに散歩している町、なにしろ昭和が歴然と

残っているのですから年寄りには落ち着いた気分を味わえる

町なのですよ。

その立石の二箇所の神社で祭りがあるというので伺ったという

わけですが、諏訪神社は二年前に伺っておりましたので

今回は立石熊野神社の祭礼に駆けつけるのでございます。

(途方もない時を刻む「立石様」)

中川が曲がりくねって流れるこの地域は、古墳時代から

人々が住んでいたという歴史のある町でもあるのです。

まずは立石の地名の元になったと伝わる「立石様」に参拝、

小さな鳥居に守られるようにある立石様とはどう見ても

小さな石の塊にしか見えませんが、この石の周りをいくら

掘ってもその大きさがわからなかったという伝説の石なんです、

立石様を欠いて持つと病気に効くという信仰が流行るとみんなで

石を削ってしまい、今は小さな塊になってしまったとか。

立石様を後に熊野神社へ、祭礼といってもどなたもおりませんね、

神輿は宮元町内の神輿は一基だけとのこと、

この熊野神社の前を毎日仕事場への行き帰りに通っておりましたのに

今まで気にしたこともなかったのです。

境内に掲げられた案内板を読んでびっくり、

「社伝によると、創祠は平安時代中期の長保年間(999~1003)に、

 陰陽師阿部晴明の勧請による・・・」

先史時代から集落のあった場所として、葛飾区内で最も古い神社の一つ

であるというではないですか。

それに陰陽師阿部晴明といえば、花山天皇、一条天皇や藤原道長の信頼を集め、

陰陽師として名声を極めた人物ですよ、アタシも一時興味を持って京都の

一条戻橋のたもとの晴明神社を訊ねたりしたことがありましたが、

まさか東京の身近な立石に阿部晴明縁の神社があったとは・・・

さらにこの熊野神社の敷地が一辺三十間の五角形なのだというのです、

後世の陰陽師が、晴明にあやかろうと信仰したため、日本各地に晴明塚と

いわれる塚を建立した跡は散見されるのですが、東京の中川の辺に千年も前に

神社が創建されていたとは、御神紋は五角形の中に八咫烏、早速、「金烏の御守護」を

所望いたしました、ますます興味深々でありますよ。

その歴史はこれからの課題として楽しみになりましたが、

本日は二年に一度の大祭、神輿を探して立石町内を歩けば、

氏子さんたちによる神輿渡御を探すことができました。

実に和気藹々とした祭りでございます。

先頭に首から白布を下げた世話人さんの姿に早速質問です。

「その中身は何ですか?」

「皆さんからのご寄付が入っております」

「すると歩く賽銭箱というわけですかね」

思わず大笑いしてしまいました。

なにしろ一基だけの神輿です、氏子町内の路地から路地をくまなく

渡御するのです、途中で何度か休憩をはさみ夕方、無事宮入りを

終えることができました。

お囃子はトラックの荷台に設えられておりましたが、どうやら

録音を流しているようです、そのうち自前でお囃子が出来ると

いいですね。

二年に一度でもこうして祭りが続いていることに、たったひとりの

見物人は拍手を送るのでございます。

みなさんのやり遂げた笑顔が心に残った祭りでございます。