薬師地蔵尊からの眺めは何処までも桃の花が覆い尽くしておりました。

道はやがてその桃の花の中へと誘っていくのです。

おかしいな、あの老人はこの道を真っ直ぐいけば

桜に行き着くと教えてくれた筈なのに道がいつのまにか尽きている。

あきらめて戻り始めたが今来た道も消えてしまっている。

「いったいどうなっているんだ」

心を落ち着かせようと大きな深呼吸を二度、耳を澄ますと

僅かに感じる風に乗ってえもいわれぬ香りと微かな話し声が・・・

道祖神の裏にわずかばかりの窪みからその話し声は聞こえてくる、

足を一歩踏み出した途端、身体が吸い込まれるように落ちていく・・・

どのくらいその場に倒れていたのでしょうか、うっすらと目を開けると

三、四人の農民らしい人達がじっと私を覗き込んでおりました。

「見かけぬ方だが、どちらかこられたのか」

「はあ、浅草から」

「なに、浅草とは何処のことかな」

その老人は隣の若者に尋ねていたが、皆、首を横に振るばかり、

「あの、ここはどちらなのですか」

「信玄様のお膝元でござります、あの激しい戦を逃れるために

みなでここにまいりましてな、信玄様は相変わらずお元気でしょうな」

「信玄様って甲斐の武田信玄公ですか、もう四百年も前にお亡くなりになりましたよ」

その人達は急にしゃべり始めました、

「そういえばあなたの装束は見たこともないが

浅草とやらではその装束が普段着なのですか」

どうしてもかみ合わない会話に思い切って聞いてみました。

「今の年号は・・・」

「永禄3年の春ですよ」

「なぜ戦が無いのですか」

「ここは下界から隔離された平和な村なんです、みんな戦が嫌になりましてね、

空が澄んで、みんな同じ風に吹かれて、自分のことを大切しながら、

疑うことをせずに信じきれる、そんな当たり前の日々を過ごせたら 

と、ここで生きていこうと決めた人が同じ時を生きているだけなんです」

「私は450年も後の時代から紛れ込んでしまったようです」

「何かを探しておられたのですか」

「はあ、美しい櫻の樹を・・・」

「この村にも美しい櫻はありますよ、どうぞ観ていってくださいな」

そして、その老人は若者に案内をするように話してくれました。

その若者は足音をさせずにまるで雲の上を進むように

案内をしてくれましてね。

そ若者が指差す先にその麗しい枝垂れ櫻が

満開の姿をゆるやかな風に揺らしておりました。

「ああ、なんと麗しい櫻でしょうか」

とその若者に話しかけるように呟いて振り返ると

誰もいないのです、

あたりを見回しても若者はいない、

「どうしたのだろう・・・」

とその時、遠くから多くの車の走る音が一斉に聞こえてくる、

そして、その櫻の廻りには沢山の観光客が歓声をあげている。

夢を見ていたのでしょうか、

でも、燦燦と太陽が照りつける真昼ですよね、

頭の中は先ほどの光景がグルグルと廻っている・・・

もう一度深呼吸すると、カメラを取り出し

何気ない素振りで、シャッターを押した。