毎月18日は浅草は観音さまのご縁日、

特に師走の18日は今年一年の御礼と

来る年への願いとを祈願する最後のご縁日、

浅草っ子は「納め観音」詣での日ですから

この日だけは他所へ浮気するわけには参りませんでしょ、

まずは、雷さまと風神さまにご挨拶、

今年の夏は、あの暑さでさすがの御両人もヘトヘトで、

疲れ切った顔が思い出されますな。

「はい、お疲れさまでございました」

そうそう、仁王さまにも御礼を申し上げ本堂へ

時は留まることをせずにただ通りすぎていく、

慌てて振り向いても昨日の顔は

もう其処にはないのです、

忘れ物ならもしかしたら、

もう一度取り戻すことができるかもしれない、

でもね、時は何も置き忘れてはくれないのです、

今年最後の観音様のご縁日、

振り向いても何も取り戻せないのなら、

これからやってくる新しい年に出会うまでの

残りの日数を指折り数えるしかやれることはないのですな、

2016年の残された日はあと二週間だけですよ、

何もかも忘れてしまいたいと思う人にも、

来年こそいい年になるように願う人にも、

時は公平にやってきて、公平に過ぎていく。

誰もが、何かを求めて次々にやってくる、

求めているのは形あるものではないらしい、

目に見えないもの、

こころでしか感じられないもの、

もしかしたら、触ることさえ出来ないかもしれない、

でも、きっとある、いやあるに違いないと確信できるなら

ひとりでいるより、大勢の人の輪の中にいたいと思いませんか、

ほら見てご覧よ、羽子板の顔、顔、顔、

みんな人間の顔なんだよ、

そう、昔から一番大切なものは、人間だとみんな感じていたんだよ、

其処に在るのは、知らず知らずのうちに求めている 「愛」なのかもしれないよ、

どんなに辛くても、どんなに哀しくても、どこかに愛を見つけられたら

人間は前を向いて生きていける、

そのことを信じることができただけでもいい年だったと思いたいですな。

俯いている人がいたら、優しく肩を抱いてあげようよ、

涙を流している人がいたら、一緒に泣けばいいさ、

特別なことなどないんだよ、そんな時に理屈や言葉はいらないんだよ、

じっと握り締めた手の温もりがあれば、きっと愛は伝わっていくからさ、

知らん振りすることだけはやめようね、

手で握り締めるもの、それは大切な人の手、震える肩、

ほらその羽子板をその手で握り締めてごらんよ、

温かさが伝わってくるからさ、

羽子板は手で握り締めて初めて何かを感じることが出来るの、

いろいろな想いを胸に、人の賑わいの輪の中で手締めの声が響く、

「それではお手を拝借、

   よーっ! シャンシャンシャン・・・・」

ああ、生きている声が響いているよ。

(2016年の年の暮れ)