10年前の三月、何を思っていたのだろう・・・

「帰りにタマゴを買ってきてくださいな」

「タマゴだけでいいのですか」

「余計なモノは買わないでください、それから

 今夜は停電ですからそのつもりで」

と電話は切れました。

仕事場の近所のスーパーでタマゴを一パック手にレジに並ぶ、

みんな両手にもてないほど買いこんでいるので中々レジが

空かないのです。

やれやれ、タマゴを一パック買うだけで40分ですよ。

まだ明るい内に帰宅すると、シーンと静まり返っている、

「そうか停電だったのですね」

TVからのやかましい音がないだけでこんなに静かだったのですね、

鬼姫様は、夕食の支度、

本を読むには暗すぎて中途半端な薄暮の中で、

カメラを取り出し、花を写す、白い花が灰色に写った。

ラジオの音楽ががスーッと消えた、

配線を手繰ってみたが、繋がってない、そうだ停電だったっけ、

「ラジオが消えましたよ」

「きっと電池がなくなったのでしょ」

さすがに鬼姫様は動じる様子も無く台所で夕食の支度に

余念がありません。

「トン・トン・トン・トン」野菜を刻む音です、

「グツグツ・グツグツ」鍋の沸き立つ音です、

そうか、いつもTVの音声で聞こえなかったのですね、

TVからもラジオからも音が聞こえなくなったおかげで

こんなに豊かな音に気づいたんですよ。

すっかり夜の帳が覆ってしまいました、

「あの、真っ暗になってしまいました」

鬼姫様は少しも慌てずに、一本の和蝋燭を立ててくれました、

火を点すとなんという豊かな明かりでしょうか、

余りの美しさに、ひとり悦に入って

「蝋燭の明かりで食事もいいものですね」

これでBGが流れれば、なんだか何処かのレストランでの

ディナーみたじゃないですかね、

ところが音楽はなし、すると二人だけの食事は

話をする以外に方法がありませんですよ。

「何だか昔のクリスマスの宵みたいじゃないですか」

などとはしゃいでいると、

「美味しいモノは温かいうちにお食べなさい」

蝋燭一本がこんなに豊かな気分になるとはね、

蝋燭の話から、四半世紀も前に二人で見に行った

福岡美術館の思い出話です、

「あの時初めて知った高島野十郎の蝋燭の絵は

今でも強烈に記憶に残っていますよ」

「何で彼は蝋燭の炎にこだわったのでしょうね」

「ひとつ気づきました、あの時は野十郎は闇を描いたと

思っておりましたが、こうして蝋燭の炎を目の前にすると

やっぱり、闇の向こうに希望を見出していたんじゃないですかね」

真っ直ぐに立ち上がった蝋燭の炎には、儚さよりも、力強さが

似合う気がしてきました。

わざわざ、不自由な環境に自らを追い込んでいった野十郎の

生き方がすこしだけ感じることが出来た気がしますよ。

すっかり話しに夢中になっていると、その時、部屋の明かりが

パッと点いたのです。

どうでしょう、あまりに明るすぎて、あの蝋燭の炎に魅せられた

野十郎の姿は一瞬に消えてしまいました。

夜を、真昼のように照らし出す電気とは、

何とつまらないものでしょうか、

人間の持ち合わせていたはずの想像力も、

その明かりと共に消し去ってしまうものだったのですよ。

どうやら、明日も停電はあるらしい、

また明日も、大いに闇の世界を楽しもうじゃないですかね。

便利より、不便な方が心が豊かになることを見つけられた。

大震災から五日目の停電の一夜のことです。