朝比奈峠に端を発した滑川は鎌倉の町を流れ下り

やがて由比ガ浜で海に流れ込む。

その滑川は流れる場所によって名を変えるのです、

朝比奈の源流付近では胡桃川、

浄妙寺付近では滑川、

文覚屋敷の付近では座禅川、

小町と大町の境にては夷堂川、

延命寺付近より一の鳥居付近までを炭売川、

材木座より海岸付近までを閻魔川とひとつの川が

六つの名で呼ばれていたのです。

小町と大町を分けるように滑川にひとつの橋が架かっている、

橋の名は『夷堂橋』、

わずか十米ほどの橋ですが、多分、鎌倉時代からあったのでは

ないかとなにかと想像するに楽しみな橋でもあるのです。

小町から来ると、橋の手前が日蓮宗本覚寺、橋を渡った先が

比企ケ谷、頼朝の乳母比企尼の屋敷のあった場所、

頼朝は妻の政子としばしば比企ケ谷を訪ねているのです、

二人はこの橋を渡っていったのですかね、

橋の上から滑川を覗き込むと、僅かな瀬音を響かせながら

思ったより清冽な流れに思わず足を停めてしまう。

昔から大町は商店が密集し、小町は住宅街であった、

その境の意味もこの『夷堂橋』は持っていたのですね。

この夷堂橋のひとつ上流、日蓮辻説法跡と蛭子神社の間に

細い路地があり、その路地を歩いていくとその先に今は

赤い橋がかかっているのですが、名も麗しい『琴弾橋』、

この琴弾橋にも美しい物語があるのです、

 むかしむかし妙本寺の峰に琴弾きの松と呼ばれていた松が
 ありました、この松の梢を渡る風が、まるで琴の音のよう
 に澄んで美しく聞こえたという、その松風の音を、この橋
 の上で聴くと、その美しい音は滑川の水音に映えて聞く人
 の心を潤した、いつしか人々はこの橋を琴弾橋と呼ぶよう
 になったのです。

いい話ですな、今は車が行き交い、どんなに耳を澄ましても

もう琴の音は響いてまいりませんがね。

引き返すと、日蓮宗本覚寺をお訪ねいたします、

このお寺は、文永11年、日蓮が許されて佐渡から帰ってきて

滞在されたという旧跡、

山門に仁王様がおられる、もしかしたら琴弾きの音を聞かれて

いるのではないかとお尋ねしようと近づくと、その形相の

怖いのなんの、気の弱いおじさんは首をすくめて退散、退散、

鎌倉はどこを歩いても歴史と人々の想いがぎっしりと詰まった町、

特に小町と大町を分ける夷堂橋の上で空を見上げるもよし、

意を決して、比企ケ谷に分け入り、兵どもの夢の跡を巡るもよし、

鎌倉五山、鎌倉五名水、鎌倉七福神、はては鎌倉十橋、鎌倉十井

と鎌倉の名数を訪ねるもよし、

知れば知るほど奥の深い町、それが鎌倉なのですから

私は半世紀もこの町を訪ね続けておりますが、未だに飽きるという

ことがありません。