丁度一年前、飯能の秋祭りで雨に叩かれて散々の目に合い

早々に切り上げて東飯能駅へと向かう。

「さてと、どうやって帰るかな」

と駅の時刻表を見ていると、八高線が走っていることを

知りましてね、実は本日はもう一箇所祭りをやっている町があるはず

その八高線なら一時間足らずで行けるとのこと。

「とりあえず行ってみるかな」

雨で中止なら旅を楽しめばいいと思いなおして八高線の乗客となる。

さすがにJRは時間に正確で、一時間足らずで無事寄居駅に到着。

降りた乗客は三人、

「祭りをやってるはずなのにやけに静かだな」

駅を出ると雨は降りやまず、祭り提灯はあれどもすでに灯りが

消えている。

とりあえず祭りをやっているという前提で歩き出す、

都会ならこれから賑わいを増す時刻ながら、歩く人もない、

どなたかに出会えば、聞いてみるという手段がとれるのですがね、

暗い夜道をトボトボと歩いていると、微かにお囃子が聞こえてくる、

音のするほうを目指してなおも歩く。

居囃子の小屋では祭り囃子が演じられている、

大太鼓、締め太鼓、笛、鉦の祭り囃子は特に笛の音が

やけに切なく響きますな、

雨に濡れたポスターには煌びやかな山車の姿、

「あの、山車は出ないのですかね」

「この雨で中止ですよ、明日は沢山山車がでますから明日来てみて

くださいよ」

少しお酒の廻った祭り人がにこやかに教えてくださった。

どうやら、町内の宴会が始まっているらしい、

お囃子が一段落すると、お囃子連もその宴会に合流、

そうか、祭りとは神輿を担ぎ、山車を曳き回すだけではないのです、

こうして、みんなで和気藹々と杯を交わすのも祭りなんですね。

どうやら、この場はには余所者は邪魔なだけ、

明日の祭りの様子が判っただけで此処まで来た甲斐があったと

いうものです、

誰もいない夜道を、明日の祭りを想像しながら歩く。

これも、旅の面白いところでございますな、

(ここまでは昨年の様子です)

そして翌日再度寄居の町へ

いやいやその素晴らしさにすっかり虜になり、鳳輦の後ろをついて

回るのでしたが、これが歩く、歩く、とうとう最後までついていけず

(なにしろ昼飯抜きでしたからふらふらに)途中で断念、

今年こそは気合をいれて用意万端整え、といったってしっかり腹ごしらえ

しただけですがね、

三回目の寄居訪問となると、町の様子も、祭りのやり方もだいぶ判って

まいります。

この寄居秋まつりは

大宝元年(701年)に宗像大社(福岡県:沖津宮、中津宮、辺津宮)

の分霊を祀った寄居宗像神社の例大祭で、宗像の神々といえば海の守り神

として信仰されておりますが、ここ寄居では荒川が大雨でしばしば氾濫し、

洪水により被害を受けていた人々が寄居の鎮守として祀り、今も大切に

守られているとのこと。

この祭りを見ただけで、祭りにかける町の人々の意識が判ろうと

いうものですね。

祭りというとどうしても華やかな山車や神輿振りばかりに目が行ってしまいます、

しかし、この寄居の祭りはどうでしょうか、

宗像神社の神御霊をお乗せした鳳輦巡行が中心で、その鳳輦を守るように

本町、中町、栄町、武町、茅町、宮本、常木の七町の山車・笠鉾がつねに

隋いていくという実に手間のかかる巡行を氏子全員が参加して宮入りまで

粛々と行うのです。

昨年は前日の渡御祭が大雨で中止になったため、一日で渡御と還御を

行ったようで、その光景をこの目で見つめていたのです。

今年はどうやら両日とも晴天にみまわれ、秋の日を浴びながらの還御祭と

成ったようです。

今年の年番町は本町とのこと、本町の町内に御旅所が設けられ、いよいよ

還御祭が始まります。

各町内の高張り提灯を先頭に、年番町の山車が先導役、その後ろを白丁姿の

若衆が鳳輦をゆっくりと担ぎます。

これから氏子町内をくまなく巡行するのです。

各町内の決められた場所に鳳輦が降ろされると、宮司様の祝詞が

奏上されるのです。

(妖艶な神功皇后様です)

こうして、何度も同じ仕草が繰り返されるのです。

祝詞奏上の間も山車の上ではお囃子が鳴り響いています、

そのお囃子はほとんどが子供たちなんです。

山車を引く綱の先頭には八十歳をとうに超えただろう長老が笑顔で

惹いています。

この町では、祭りを通して文化も慣習もそして町人の絆も自然に身に

ついていくのでしょう。

さあ、夜の宮入りまでついていきますよ。

2015年 寄居秋祭りにて