春されば まづ咲くやどの 梅の花

 ひとり見つつや 春日暮らさむ

山上憶良 万葉集(巻5・818)

 梅の花 咲きて散りなば 桜花 

  継ぎて咲くべく なりにてあらずや

     張福子 万葉集(巻5・829)

天平二年正月十三日、

これは太宰帥大伴旅人の邸で梅花の宴で詠まれた歌、

万葉の時代から、梅の後に桜が咲くことを

待ちわびる気持ちがあったのですね。

「こちらではやっと梅の花が咲いた」

と北国の友人から連絡があった、

関東では梅はそろそろ散り始めている。

今日も春の雨が降っている、

その咲き誇っていた梅には花散らしの雨、

それでも春の雨には優しさがある、

梅を散らしていく春の雨も、

待ちわびる桜には恵みに雨、

この桜が咲くのを促し急き立てる雨を

「催花雨」と言うらしい。

三椏が咲き始め、庭の山茱萸もほころび始めている、

辛夷が咲き、瑞樹の花が咲く、

まもなく咲くだろう桜を思えば、この雨もまた嬉しや。

どうやら優しい雨でも人の足を遠ざけるのだろう、

話し声の聞こえなくなった庭をひとり歩く。

微かに聞こえるのは雨の音、

耳を傾けるにはこの静かさが有り難し。

茶室の縁に腰をかけて雨宿り、

なになに茶室の名は「聴雨庵」とな、

先人は雨の音を聴きながら茶をたてたという。

じっと心を傾けると、確かに池に落ちる雨の音が

微かに聞こえる。

この雨はきっと桜にも話しかけているだろう、

「もうまもなく君たちの出番だよ」 と・・・

(池上梅園にて)