最近は同じ桜を花が咲くごとに訪ねることが

多くなりましてね。

大抵は江戸彼岸桜と呼ばれる我が国自生の桜で、

樹齢が百年単位で伸びている老樹ばかりなんです。

日本中を席捲してしまったソメイヨシノは、百年咲き続ける

のは滅多に出会えませんが、江戸彼岸桜は三百年、五百年、

中には千年を越しているという伝説の桜まであるのです。

丁度お彼岸の頃に咲くので彼岸桜と呼ばれるように

なったのでしょう、いえ、新暦ではなく旧暦での彼岸頃に

美しい花を咲かせるのです。

最初は吾妻の地に咲く桜なので東(あずま)彼岸桜と呼ばれたのでしょう、

江戸がこの国の都になった頃から、江戸彼岸桜とその名も

定着したようですね。

この江戸彼岸桜が突然変異で枝が枝垂れる種類が現れると

その姿の美しさと長寿の樹齢が神秘感をもたらしたのでしょう、

神社や寺院に多くの枝垂れ桜が植樹されたのです。

人の寿命など足元にも及ばぬ長寿は、人の寿命の何代にも

渡って生き続ける江戸彼岸桜に特別な神秘を感じても

無理からぬことなのですね。

人間の寿命が世界一の長寿国になったこの国で、

四百年、五百年、果ては八百年などという寿命を保ち続ける

江戸彼岸桜の姿は何度訪ねてもその感動と驚愕を失うことは

無いのです。

しかし、同じ江戸彼岸桜を何度訪ねても、これが一番の見ごろ

に出くわすことは滅多にないのです。

勿論、事前に調べてから訪ねるというやり方を一切やらない

まったくの勘が頼りの桜巡りですから当然のことですがね、

そのかわり、勘がピタリと当たった時の感動は、

それはそれは絶句するほどの心の高まりを受けるものなのです。

数々の江戸彼岸桜の古木を随分訪ねましたが、たった一本だけ

訪ねた時が、いつも満開に遭遇するという幸運の江戸彼岸桜が

あるのです。

今年も、上野や向島の桜を眺めていた時に、

急にその幸運の桜を思い出したのです、

それは、桜が以心伝心の波長を出していたものを感じ取ったに

違いありません。

「そうだ、般若院の江戸彼岸桜だ!」

そのテレパシー(アタシには判ったのです)に惹きこまれる

ようにその大樹の元へと駆けつけたのです。

勿論、あの大樹は外からはまったく見ることができません、

「さあ、どうだろうか」

と参道を歩き本堂で手を合わせると、胸を高鳴らせながら本堂の

裏へと足を運ぶと・・・

ほら、やっぱり今年も満開の姿で迎えてくれましたよ。

今年で九年目の出会い、すべて満開に出会い続けている桜なんです、

こんな奇跡のような出会いが続くなんて、

私にとってはもうこの桜は神の乗り移った桜に思えてなりません。

どれほど眺めていたのでしょうか、やがて辺りは夕闇が迫り、

風が寒さを運んできます、

住職が本堂に灯りを灯してくださったのでしょうか、

そのほのかな灯りの中に嫣然と立つ江戸彼岸桜のゆるぎない姿に

時の経つのも忘れておりました。

それは四百数十回目の満開の姿をしっかりと心に刻んでいた桜旅の途中のこと、

さて、来年も逢えるだろうか・・・