勝浦は一年の全てを海に向けて生きてきた町です、
私の人生の最初の旅はこの海の町で夏の二ヶ月を過ごすという
ものでした、
多感だった16歳から三年間その旅は続いたのです、
浜の際でラーメン屋を商っていた老婦人の二階部屋を貸していただき、
眼が覚めると海辺の砂浜で日がな一日海を眺めて過ごすという
およそ若者には縁の無い日常の過ごし方だったのです。
紛れも無く此処は漁師町、
海から戻った男たちの荒くれ声が響き渡る岸壁を
見つめながら、何もしない自分が役立たずの人間に
思えてきたのも当たり前の若者の感情だったのでしょう、
ある日、その漁師に尋ねた
「何か手伝うことはありませんか」
「お前、何処から来たんだ」
「東京です」
「東京者か、無理だな」
それでも毎朝港に通い続けるうちに、顔つきや、怒号は
仕事のための必要な仕草で、
ひとたび仕事を離れると、目から険しさが消え、
話好きのおっちゃんの姿を見せてくれるようになったのです。
あれから30年の月日が経ち、海の男の怒号が響く町に
想わぬ祭りが始まったと言うのです。
神輿の荒々しい担ぎが目を引く祭りは何度も目にしていましたが、
およそ荒くれ男たちとは縁の無いと想っていた 雛祭り が
始まるというのです、
一年の10日間だけ、町中に雅な雛人形が飾られる、
その数は、住民の数を凌駕するほどの凄まじい数なのです、
同じ猟師町から譲り受けた雛人形は、その男たちと女将さんたちの
手で飾られるのです、
漁師町と雛人形、あまりの異質な組み合わせに驚いたのは
旅好きの観光客、
観光バスを連ねてやってくるに及んで町は大混乱でしたね。
五年ぶりに訪ねた雛の町は、どうやら落ち着きを
取り戻しておりました。
あの遠見岬神社の石段の雛飾りは、相変わらず人の手で
毎日飾る遣り方を続けています。
第二会場の山本さんのコレクションは素晴らしいですね、
ご本人の説明で拝見することができました。
江戸享保雛、土雛、御殿雛、それぞれの人形に込められた人の想い
までもが町中からその視線を送ってくるのです。
その雛人形が町の人々の和を結んでくれたとしたら、
この先、ずっと続くかもしれませんね。
今年も出会えた上総雛の町の旅の途中です。
(2018年2月記す)
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