篠つく雨が小雨になったかと思ってふと見上げると

そこは鬱蒼と茂る木々が覆い尽くしていた、

「暗闇坂を登りつめたところが鏑木小路ですからな」

と麻賀多神社で出会った老人が教えてくれた暗闇坂を

登りつめると其処は名も美しい鏑木小路、

まるで雨が全ての物音を消し去ったように静謐な刻が

流れておりました。

人影は全く途絶えまるで江戸時代へ戻ってしまったかと

思われる藁葺きの武家屋敷が並んでいる。

目の前を番傘を片手に和服姿の男が過ぎっていく、

「あの、少々お尋ねしたいことが・・・」

足を止めた男は隙のない仕草で振り向く、

口元は笑みを漂わせていたが、その眼は笑ってはいない、

それに傘で隠れていた頭には髷が、

「何かお探しかな」

低いが良く通る声が返ってくる、

どうしたというのだ、何かロケでもあるというんだろうか、

「あの、鏑木小路を訪ねてきたのですが」

「確かにここが鏑木小路でござるが、どなたをお尋ねかな」

「えっ、此処はお住まいの方がおられるのですか」

じっと私を見つめていた男は、不思議な姿の旅人を

不審者と認めたのだろうか、

「どちらから来られたのかな」

「はい、浅草からでございます」

「おお、江戸からでござるか、して何用で佐倉藩をお訪ねか」

どうも話が噛み合わないのです、

「いえ、物見遊山で・・・」

「物見遊山とは・・・

疑うわけではござらぬが 道中手形をお持ちかな」

「手形とは、ははっ、身分を明かせと」

やおら運転免許証を取り出してお見せすると

「これはまた奇異なるモノを、してご身分は」

「小さな会社をやりくりいたしております」

「すると商人でござるか」

「まあ、そのような者でございます」

どうやら疑いは晴れたらしく、

「休んでいかれるといい」

と目の前のご自宅へ案内をいただくことに

あいなりましたが、なんとも不思議な気分でございます。

御内儀までご挨拶いただき、恐縮至極でございます。

話の糸口に、つい先日の大地震の話をいたしますと、

「あれはこちらでもかなり被害がでましたな、

さいわい死人はでませなんだが」

「さきほど堀田様の御宅を訪ねましたところお庭の灯篭が

倒れておりましたのでかなりの被害がおありになったのかと」

「何、殿のお知り合いでござるか」

「いえ、それほどの者ではございませんが」

急に態度が変わり、奥の客間に通され、お茶のご接待まで

受けることに相成り、ますます恐縮至極でございますよ。

「江戸ではかなりの被害だったとか」

「さいわい、命だけは助かりました」

「何でも小石川の水戸屋敷は倒壊し、

 江戸の町は火の海だと聞き及んでおりますが」

どうも噛み合わない話に

「あの、ところで今の暦は・・・」

「安政三年の三月でござるが」

「すると、大地震とはあの安政の大地震のことでございますか」

「そういえば、貴方も不思議な方ですな、何か摩訶不思議な力を

お持ちなのかな、その装束も見たことがありませんが」

いけない、いつのまにか150年前に紛れ込んでしまっていたんです、

もし、私が、それからの時代をお話したら、全ての歴史が

壊れてしまうかもしれません。

急に用件を思い出したのでお暇を願うと、なにやら聞きたいことが

おありのようでございましたが、これ以上お邪魔していると

徳川幕府が瓦解したことまでしゃべり始めてしまいそうで

恐ろしいのです。

「どうぞ、お達者で」

それだけを申し上げると、その男のご自宅を後にいたしました、

静謐に生きるあの方々が150年後の日本を知ったら

何とお答えになられるのでしょうか、

再び歩き出した鏑木小路に止むことの無い雨、

「この雨は安政の雨なのか、平成の雨なのか」

なんとも不思議な雨、

もしかしたら、こういう雨の日の出来事を

『雨障り』と云うのでしょうかな。

雨の鏑木小路を歩きながら、旅で出会った静謐な人々が

走馬灯のように駆け巡っておりました。

 角館、酒田、金沢、松江、熊本、飫肥、知覧・・・

みんな武士が生きた町です。