九州の旅から戻ると、再び祭り行脚が始まります、
祭りの中に身を置くと、自然に心が浮き立って
知らず知らずのうちに顔が綻んでいるんです。
日本人が考える 祭り とはなんでしょうか・・・
信仰の一部分のような気もするのですが、仏教や
キリスト教のように経典があるわけでもなく、
祭りの無い平日に伝道という行いがないのです。
祭りに参加した人々だけが何かしらの恩恵(金銭的な
ものではありません)を受けるだけで、すなわち何度か
祭りを体験する中で、祭りの意味を悟っていく という
実に大らかななかで繰り広げられているのが 祭り という
ものではないですかね。
実はこの祭りに参加し続けている人々は、祭りに逢わないことは
非常な損失と受け止めている節があるんですね。
祭り が何を意味しているか、その要点、その及ぶ範囲というものを
祭りに参加し続けている人々ははっきりと判っているのでしょう。
ですから、あえて、祭りの定義みたいなものをはっきりさせなくても
一生に何十回も祭りを行っている人々はみんな身体に染み込んで
言葉など要らぬほどに判っているのかもしれませんですよ。
アタシが祭りを訪ねる度に、いつも感じることは、祭りの中での
人の動き、それは体験が重ねられた人ほど、実にスムースに無駄のない
動きをするもので、その動き方を若者達が祭りの中で身に付けていく
ことこそが祭りの本意のような気がするのです、
その祭りの中で生き生きとした人々を 特別に 祭り人 と呼びたい
ほどなんです。
平時は、商店のオヤジさんだったり、会社勤めの若者だったり、
全く普通の人々が、ひとたび祭りとなると、祭り衣装に手を通した瞬間から
祭り人に変身してしまうのです、
ある老人は、まるで神の化身のように感じてしまうし、
神楽を舞う人々は神と人との取り持つ祭り人に変身している、
人間というものはもしかしたらいつも変身願望を密やかに持っているのかも
しれませんよ、平時に変身すればそれは好奇の対象になるだけ、なるべく
目立たないように日常を過ごしている人には出来ないことなんです、
しかし、ひとたび祭りとなれば、祭り衣装がその変身願望を叶えて
くれるのです、
祭りとなれば、祭り人はらくらくと時空を超えて昔へと旅をすることも
出来るのですね、あの飾り立てられた山車はもしかしたらタイムマシンなのかも
しれませんよ、
暗闇の向こうからじっとこちらを見つめているその視線を感じることが
できたなら、あなたはもう立派な祭り人なのですよ。
まあ、祭りに理屈を持ち込むのはよしましょう、
祭りこそは日本人のこころを豊かにしてくれる魔法のなのですからね。
もう何度もお訪ねしている川越まつり、無理やり鬼姫さまをお誘いしてやって
まいりました。
夕暮れが早くなった秋の川越は、提灯に灯りがともる頃が一番美しいですね、
今回は、お囃子をじっくり聴いてみたいと、特に居囃子を楽しむことに
いたしました。
歯切れのいい音色に惹き込まれたのは松江町の浦嶋囃子連(堤崎流)
笛1、大太鼓1、締太鼓2、鉦1の5人囃子の屋台、鎌倉、四丁目などに
合わせて、天狐が舞い、もどきが茶目っ気で笑いを誘い、獅子舞が
目出度さを振りまいてくれました。
何度訪ねても祭りはいいものですね。
(蔓延した流行り病は昨年に続き今年の祭りも
開かれることが出来なかった・・・)
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