訳の判らないものの中に『厄年』という風習があります。

人生の中で特に厄災が降りかかる年齢があるというのです、

陰陽道や神道、仏教夫々の中に取り込まれ、どうやら

平安時代頃から現代まで信じられているらしいのです。

特に気をつけなければならない年齢を大厄といい、

前年を前厄、翌年を挑厄または後厄と云って

神社仏閣で厄払いをしてもらうというのです。

男の大厄は42歳

女の大厄は33歳

さて、アタシの大厄の年ですからもう四半世紀も昔のことに

なりますが、

今でも克明に覚えている災難に出会ってしまったのです。

あれは寒い二月の朝のことでした、

朝刊を取りに寝起きのまま玄関の戸を開けたのです、

まるで雪でも降りそうなどんよりとした朝の空気が

寝ぼけ眼を直撃、

「おおー寒い!」

素足にサンダルを突っかけて一歩踏み出した瞬間、

ものの見事に足を取られ、私が見たのは自分の両足が

目の高さより上にあるという不思議な光景でした。

我が家の玄関は三段の階段になっているのです、

玄関の前にはマットが敷いてあるんです、そのマットの下は

前日の雨で濡れたまま、厳寒の冷たい空気に冷やされ見事に

凍っていたのです、そのマットはいとも簡単にアタシの体重を

支えるどころか、一緒に空中へ舞ったのでした。

人間の身体というのは、両足が上を向くと、頭は下に落ちるのですね、

手をつく間もなく、それでも無意識に頭を打たないように

身体が反応していたのでしょう、

しかし、背中から落ちた場所が普段なら何の危険もない

三段の階段の角だったのです、

人間ってヤツは背骨を思いきり角にぶつけるとどうなると

思います、呼吸が不可能になるんですね、

息を吸い込もうとしても出来ないのです、

薄れていく意識の中で、口をパクパクさせながら

「このままだとあと二、三分で死ぬんだ」と・・・

新聞を取りに行ったまま戻らないのを心配して鬼姫様が

玄関を開けると、そこにパジャマ姿のアタシが白目をむき出して

ひっくり返っているわけで、

「そんなところで寝てると風邪ひきますよ」

冷静なお言葉を遠くで聞きながら、

「あわあわ」とわめいていたらしいのです。

気が付いた時は病院のベット、

「あの世にも病院はあるのか」

医師の診察は

運が良かったということ、もう少しであの世行きか、

助かっても半身不随でしたよ。

しかし、それから6ケ月は握力は全くなくなり、

ペンを持つことも出来なかったんです。

ある老人がこう云ったのです、

「お前さん、今年は大厄じゃないかね」

「いや、来年ですよ」

「厄年は数え年なんだよ」

そして教えられた厄払大師へお祓いに行ったのは

自然の流れだったのですね。

あれからですかね、神社仏閣を彼方此方訪ねるようになったのは、

関東には、霊験あらたかな厄除大師がありましてね、

アタシがその老人の勧めで伺った 西新井大師、

何時もお邪魔する佐原観福寺大師堂、

そして川崎大師の三箇所を関東厄除け三大師なのだとか、

他の二ケ寺は伺いましたが、川崎大師は初めてなので、

大分遅くなりましたが鬼姫様とお礼参りでございます。

「今更、お前さんに厄除けしてもな」

きっと、お大師様はおっしゃられているかもしれませんが、

この歳まで無事に生かしていただいたお礼でございます、

ついでに、厄が取り付きませんようにそっと手を合わせた

御参りでございます。

川崎大師にて