私の住む町市川には永い歴史を秘めた場所が
彼方此方に潜んでいます。
四千年前のこと、といっても何のことだか想像さえ
できないかもしれませんでしょ、でもそんな大昔にも
人が住んでいた形跡が確りと残されているのです。
「貝塚」と聞けば、大抵の人は学校の歴史の時間に習った
ことがあるので、膨大な貝殻が堆積した光景を思い浮かべるかも
しれませんが、今、その場所を訪ねてみると何の変哲も無い
雑木林になっているのです。
実は市川にはその貝塚が確認されただけでも50箇所もあるのです、
日本で初めて縄文時代の住居が発見されたのは大正15年のこと、
それも市川柏井の姥山貝塚でのこと、
自分達の食べる貝類は勿論、物々交換のために貝を茹で、干し貝に
したり、と身をとった貝殻を何代にも渡って山のように積み上げ
祀ったものが貝塚ではないかと思われます、
貝塚には貝殻のほかに魚や動物の骨、土器の欠片、また、埋葬された
人の骨などまで発掘されているのです。
そんな貝塚が50箇所もある市川は貝塚の宝庫と言ってもいいかも
しれませんね。
市川の貝塚で一番古いのは 美濃輪台貝塚と杉ノ木台貝塚で、
約7200年前のものだと推定されています。
国内最大級の曽谷貝塚、今、私の立っている堀之内貝塚からは
12000年も前の人が使っていた黒曜石などで作ったナイフ型の石器が
発見されています。
市川柏井の今島田遺跡からは約10000年前の人が使ったと思われる
黒曜石や瑪瑙などを使った石の道具が発見されています。
(参照 『市川の歴史』中津攸子著)
久し振りに堀之内貝塚を訪ねました。
今は市川でも貴重な広葉樹林に覆われた雑木林です、
秋から冬にかけて、その広葉樹林はほとんど全て落葉し、
枝だけの姿に変わります
この落ち葉に覆われた小路を歩くと、カサコソと乾いた足音だけが
響くだけですが、実はその落ち葉の下には、数千年の歴史を秘めた
縄文時代の永い永い人類の歴史が潜んでいるのです。
立ち止まり、耳を傾けると小鳥達の朝のさえずりとともに、
縄文人の交わす言葉が聞こえてくる気がするのです。
冬にはほとんど落ちてしまった葉、しかしやがて巡ってきた春はその
木々を目覚めさせ、日々の仕事や雑用に追われている現代人が
気が付かないうちに、見事に新緑の葉を枝の先に覆わせていたのです。
身体中が薄緑に染まってしまうような気がして、いつまでもそこに
佇んでしまいます。
縄文時代をこよなく愛した宗 左近先生、縄文土器を古代の遺物ではなく
芸術品としてとらえていた先生とお別れして三年目の6月20日が
まもなくやってきます、先生の目を細めた笑顔が思い出されます。
縄文時代、此処市川に生活していた人々は、生きた証を鮮明に残して
いきました。
今を生きる私達は、百年後、いや千年後に何を残していけるのでしょうか、
膨大なゴミの山ですか、きっと未来人は首を傾げてこう言うでしょうね
「何のために残したのだろう、祭祀後だろうか・・・」 と。
市川北国分 堀之内貝塚にて
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